世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

タイ王国の九九

2021-08-31 07:14:19 | タイ王国

昔話で恐縮である。1995年から4年半、タイ北部ランプーンの北部工業団地内で操業するM社に出向していた。

当然ながら周囲はタイ人社員である。彼らと話をしていると、やけに暗算が早い。それも一人や二人ではなく、多くの人びとがそうであった。一方で話しが熟してくると、マイペンライ(気にしない・どうでも良いよ)の世界になってくる。この対極とも思える頭はどうなっているのか、多少なりとも奇異に思ったものである。

その後、必要に迫られてタイ製のノートを購入した。その裏表紙を見ると上掲写真のようにタイ式の九九が印刷されていた。その最大数は25×12=300である。日本の九九の最大数は2桁81である。道理で暗算が早いのが分かった。タイに算盤を持ち込めば、暗算チャンピオンがでるのでは・・・と、思っていたことを思い出した次第である。

<了>

 


北タイのカレン族は路を封鎖し家を守る

2020-04-08 08:00:42 | タイ王国

昨4月7日夜、安倍総理はコロナ感染防止のための緊急事態宣言を発出。しかし、都市封鎖のロックダウンは行わないと云う。もとより法的根拠もないことによる。欧米各国は都市封鎖を行っているのと対照的である。

紹介が遅れ少し古い情報となったが、チェンマイ北郊に在住の新明天庵氏からの情報である。それは2020.03.26付けのChiang Mai Newsである。

ปิดบ้าน-ป้องเมือง ชาวบ้านเชื้อสายชนเผ่ากะเหรี่ยง(カレン族は路を封鎖し家を守る)と題する記事である。

メーホンソン県サイタイ地区の3つのカレン族の村は、外部からの人の出入りを禁止するため、警備員の配置をして監視するという。15を超える集落がcovid-19の予防のため路を閉鎖した・・・とのことである。次の写真が掲載されていた。

眼鏡のおじさんが持つ棒の先端にはターレオと呼ぶ鬼の眼(辟邪呪標)が取り付けられている。これは悪霊(Covid19)の侵入封じである。


右奥にもターレオを見ることができる。

北タイの少数民族では、合わせても数千人の民族が存在する。極論すれば、コロナの侵入で民族が消滅する恐れがある。彼らは、古来集落を封鎖することにより、民族の自滅を防止してきたのである。この知恵は学ぶ必要があろう。

日本でも、昭和初年までは道切り・・・と称して、村境に注連縄を張り、あるいはそこに草履を吊り下げて疫病の侵入を防ぐ習俗が残っていた。

困ったときの神頼みよろしく、何でも遣ってみたいものである。幸い我が島根県は罹患者が発生していない。そろそろ2度目の疫病神社参拝が必要であろう。

 

<了>


アカ族の鋸歯(三角)文は辟邪文のようだ

2020-01-27 08:44:00 | タイ王国

アカ族集落の入口に立つ門(ロッコン・ロコーン)の笠木と云うか横木が、三角の鋸歯文で装飾されている。その装飾文様には何らかの意味があると考えていたが、もう一つ分からずにいた。ロッコンそのものは、その柱元に在る男女交合像が示すように結界である。

先ずロッコンの鋸歯文を見て頂くことにする。笠木の上には黒く塗られた鳥(多分鵲であろう)が、集落の内側を背に異端者の侵入を監視している。その笠木には三角の鋸歯文が刻まれている。

長らくこの鋸歯文の意味が分からずにいた。最近、考古学者の寺沢薫氏の著作①を読んでいると、鋸歯文は辟邪文だという一文が眼に入った。

氏によると、銅鐸には二面性があると云う。一つは鋸歯文や綾杉文、渦巻き文のように、世界共通で邪気を払うという意味をもった文様。もう一つは、袈裟襷文や流水文のように銅鐸を縛り付ける文様である。銅鐸とは、どうもこの辟邪と呪縛という二つの呪力をその内に秘めている呪具のようなのだ。一体何に対してか。もちろん、それは穀霊(稲魂)に対してである・・・とある。

写真は島根県雲南市・加茂岩倉遺跡出土の23号銅鐸である。紐を吊るす鈕に当たる部分は、鋸歯文と綾杉文で埋め尽くされている。これが邪気を払う辟邪文とのことである。

ロッコンの鋸歯文の理由・意味が分からずにいたが、辟邪文とすれば、結界の絶好の文様であることになる。機会があればアカ族の住民に尋ねてみたい。

 

① 日本の歴史(2)王権誕生 寺沢薫 講談社

<了>


13人の救出作戦開始:タムルアン洞窟

2018-07-08 14:37:12 | タイ王国

Thai PBS放送(3チャンネル)のタムルアン洞窟の現場中継によると、雨季の大雨が迫っており、洞窟内の水位が上昇する恐れが出たため、今朝9時救出作戦を開始したと報じている。順調に行けば救出隊は、最短4時間で救出現場に到着との報道である。これも順調に行けば戻り5時間として、午後6-7時頃に顔が見られるであろうとの期待がもてる。流暢というかタイ語には、ついていけないがタイ語TVから目が離せない。

英語の字幕スーパーで流してくれるので、何とか状況が分る。救出作戦の成功を祈る。

<了>

 


アユタヤよりドンムアンへ

2018-06-16 16:07:24 | タイ王国

<続き>

昨15日は10時頃から、チャオサンプラヤー国立博物館とアユタヤ歴史研究センター、ワット・プララーム見学に出発。宿泊先のカメオ・ホテルでTAXIのチャーターを申し込むと、TAXIはなくトゥクトゥクだという。アユタヤの街にはTAXIが走っているのだが・・・?と思いつつ、トゥクトゥクにした・・・あとで分かったことだが、カメオとトゥクトゥクの運ちゃんはつるんでいた。

車体にはKANTARY & KAMEOと表示されている。専属契約であったのだ。先述の処を回って600Bとのこと。相場が分からないのでOKした。

先ずチャオサンプラヤー国立博物館へ、見学を約1時間してアユタヤ歴史研究センターへ行こうとしたが、場所が分からない。幸いにも隣が観光センター。そこで場所を聞くと、閉館中とのこと。山田長政の何がしかを知ろうとしたが残念。

代わりにワット・プラシーサンペットに寄ることにした。先ずワット・プララームである。やはりクメール様式の仏塔(プラーン)を見ることができた。クメールに占領された歴史をもつ。

次にワット・プラシーサンペットである。トライローカナート王時代の1448年に建立され、以降はここで宮中儀式が執り行われてきたという。寺院のシンボルは、東西に並ぶ3基の仏塔で、それぞれにトライローカナート王(1448~1488年)とその王子らの遺骨が納められていた。

20数年前にじっくり2日間かけて観光しており、今回は上記3箇所で切り上げた。国鉄アユタヤ駅からドンムアンまでは列車にした。

料金は驚きの11B(約35円)。うそだろう・・・との印象。しかし定刻の30分遅れであった。これも嘘のように快調に飛ばし、且つ列車もリニューアルされ清潔そのもの。無事ドンムアン駅に到着した。機会をみて国立博物館の見学記を紹介する予定である。

<了>