<続き>
引続き、今城塚古墳出土遺物を紹介する。
向かって左側の矢を納めるのが胡籙、鎧兜を衝角付冑・挂甲と呼ぶようである。
この今城塚古墳を男大迹王(をほどのおおきみ・書紀)、つまり継体天皇陵とする見方が一般的なようである。それにしても、推定復元である鎧兜は立派なものである。
<続く>
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引続き、今城塚古墳出土遺物を紹介する。
向かって左側の矢を納めるのが胡籙、鎧兜を衝角付冑・挂甲と呼ぶようである。
この今城塚古墳を男大迹王(をほどのおおきみ・書紀)、つまり継体天皇陵とする見方が一般的なようである。それにしても、推定復元である鎧兜は立派なものである。
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古代歴史館に隣接する今城塚古墳出土遺物を今回から紹介する。先ず築墳の様子を示した実物大ジオラマの写真から。
古墳の周囲を巡る、多くの円筒埴輪が次の写真である。
岡山の造山古墳の石棺材料も阿蘇から運ばれたが、今城塚古墳の被葬者も大きな権力をもっていたことが伺われる。
<続く>
<続き>
土保山古墳、岡本山A3号墳出土の武具等の出土遺物を紹介する。これらをみていると卑弥呼の時代の倭国大乱ほどではなかろうが、近隣との紛争は古墳時代に至っても継続していたであろうと想像させる。
<続く>