過日、雨の中を園部の南丹市文化博物館へ行ってみた。集中豪雨のような雨脚で苦労して行ったものの、展示内容はやや期待外れの感なきにしも非ずといったところであろう。
園部には、垣内(かいち)古墳と称する4世紀後半の築造で全長84mの前方後円墳が在り、出土遺物は重要文化財に指定されている。出土遺物をみると、それなりの首長が埋葬されていたと思われる。
三角縁神獣鏡
擬名帯神獣鏡
三角縁仏獣鏡
南丹市立文化博物館の展示品紹介は、以上の品々で終了とする。
<了>
過日、雨の中を園部の南丹市文化博物館へ行ってみた。集中豪雨のような雨脚で苦労して行ったものの、展示内容はやや期待外れの感なきにしも非ずといったところであろう。
園部には、垣内(かいち)古墳と称する4世紀後半の築造で全長84mの前方後円墳が在り、出土遺物は重要文化財に指定されている。出土遺物をみると、それなりの首長が埋葬されていたと思われる。
三角縁神獣鏡
擬名帯神獣鏡
三角縁仏獣鏡
南丹市立文化博物館の展示品紹介は、以上の品々で終了とする。
<了>
チェンマイが所在する今年の北タイは、特に多雨のようである。先日はベトナムに台風4号(日本での呼称・台風16号)が上陸し、その影響で北タイに豪雨をもたらしているとのこと。そのニュースが連日のごとくChaingmai Newsに掲載されている。
【メークラン滝閉鎖】
タイ国最高峰はドイ・インターノンで標高2565m。そのドイ・インターノンに至る道路が閉鎖されているという。
ドイ・インターノンには渓流沿いに行くことになるが、写真のように閉鎖されているようだ。その渓流にいくつかの滝が存在するが、メークラン滝はその一つである。
デッキの足元まで濁流が押し掛け、もっていかれそうな勢いである。こんなところによくもまあ立っているな・・・との感じがする。
【チャンプアック・城壁崩壊】
長雨で、チャンプアック・ゲート(白象門)の城壁が崩壊したとのこと。文化財なるが故、修復は時間が必要であろう。
ゲート自体も崩壊する恐れがあるとして、補強されているようだが、写真の状態では補強になっていない。格好だけのジェスチャーである。
【タイ人の日本入国条件緩和】
10月11日より、日本へのタイ人を含む68か国からVISAなし入国可能とのニュース。北タイ人(コン・ムアン)は日本大好き。加えてバーツ高(1B=3.8円)であり、日本はタイ人観光客が押し寄せるか?。タイ人のゴールデンルートは、東京→富士山→京都→大阪である。
<了>
<続き>
【貴人たちの風雅】
【銀(しろがね)の光輝】
【躍動する俑】
以下、あまりにも著名な唐時代の俑が展示されていたので紹介する。
三彩文官俑 唐 高 87cm
加彩武人俑 唐 高 56.8cm
褐釉馬俑 唐 78cm
唐時代の馬俑と云えば三彩馬俑であるが、当該褐釉馬俑も名高い。
加彩女子俑 唐 高 45.9cm
唐時代の美人と云えば、ふっくら、ぽっちゃり美人であった。この姿形もよく目にする。
加彩騎馬狩猟俑 唐 高 45.2cm
キャップションにもあるように、この胡人像はソグド人を写したものと云われている。シルクロードを経由してはるばる到達したものである。このソグド人は新羅にも渡来した。
慶州 掛陵 胡人石立像
文官像 慶州 龍江洞古墳出土 7世紀
唐王朝と同時代の慶州(統一新羅)に胡人の足跡と思われる石像や文官像(俑)が出土する。西域の文物を新羅までもたらしたであろう証である。
そのシルクロードの東の果てである日本にも、西域の品々がもたらされた。ガラス(玻璃・はり)容器などは、そのさいたるものである。それはガラス容器が自ら歩くわけではなく、必ずもたらした人物が介在する。残念ながら日本では胡人俑が発見された形跡はないようであるが、このソグド人がもたらしたであろうと想いを馳せてもよかろう。
今回で、古代鏡展示館の展示品紹介を終える。
<了>
<続き>
南北朝から唐王朝にかけての金属製品を紹介する。今回は【胡風への憧憬】と【宝玉貴石ー美の集積】とのサブタイトルの展示である。
【胡風への憧憬】
響銅とは銅に錫を加え、蝋型鋳造と轆轤加工によって製作する西方的な合金である。叩くとよい響きがすると云う。「佐波理・さはり」とも呼ばれている。
響銅長頸瓶 南北朝
響銅長頸瓶 南北朝
響銅透彫獣脚香炉 唐
響銅鍍金獅子鎮柄香炉 唐
このような柄香炉(えごうろ)は聖徳太子が持つ孝養像(こうようぞう)があまりにも著名である。
左:響銅胡人走獣文鉢 南北朝 右:響銅塔碗形合子 唐
響銅ミニチュア明器セット 南北朝
【宝玉貴石ー美の集積】
楊貴妃もこのような腕輪で飾っていたであろうか。
<続く>
<続き>
隋・唐時代の銅鏡で代表的なモノは、海獣葡萄鏡である。その多くは前回【獅子と葡萄の輪舞】とのサブタイトルで掲示した。以下の紹介の中にも何点か含まれている。代表的なモノとして他に、ハ稜鏡や八花鏡などの花卉を手本に外形を形成した鏡が存在する。三国時代以前には見られなかった形である。これらはオリエント、すなわち西方シルクロードの影響とも考えられる。
【隋唐鏡のうつろい①】
四神十二支文鏡 随ー唐 径16.9cm
四神十二支文鏡 随ー唐 径24.8cm
瑞花対獣文鏡 随ー唐 径20.3cm
八瑞獣文鏡 随ー唐 径23.4cm
八瑞獣文鏡 随ー唐 径26.7cm
海獣葡萄鏡 唐 径14.1cm
海獣葡萄鏡 唐 径24.1cm
【隋唐鏡のうつろい②】
瑞獣龍鳳文鏡 唐 径20.4cm
騎馬狩猟文八稜鏡 唐 径16.4cm
双鳳銜綬瑞鳥文八花鏡(そうほうかんじゅずいちょうもんはっかきょう) 唐 径16.4cm
雲龍文八花鏡 唐 径27.5cm
月宮図鏡 唐 径15.6cm
月宮鵲銜綬龍濤文八花鏡
<続く>