<続き>
中世から近世にかけての展示物については、紹介を省略し、今回をもって鳥取市歴史博物館の展示物紹介を終える。
<了>
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中世から近世にかけての展示物については、紹介を省略し、今回をもって鳥取市歴史博物館の展示物紹介を終える。
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今回は埴輪から紹介する。鳥取県東部では地域限定の埴輪が出土するようだ。見ていると、成程特殊な形状をしている。
上掲2点は山陰型甑形土器と呼ぶようだ
移動式の竈や甑は朝鮮半島由来と云う。伯耆・因幡も出雲同様に朝鮮半島を船出すれば、渡来できる地である。
これは一般的な甑
ミニチュア土器は祭祀に用いられた。キャップションによれば水に関わる祭祀に用いられたと記されている。
<続く>
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今回から古墳時代の出土品を紹介する。
左:斜縁獣帯鏡・桂見2号墳 右:内行花文鏡・面影山74号墳
桂見2号墳出土品
桂見2号墳出土品
桂見2号墳出土品
面影山90号墳出土
面影山74号墳出土
面影山75号墳出土
二重口縁壺・大口20号墳出土
勾玉・管玉などの装飾品は、全国各地の古墳から出土するが、古墳時代になると、持つ者と持たざる者の区分が明瞭になった時代である。勾玉などを作るそのものでは飯にはならないが、持つ者に渡すことにより食べることができた。それはコメや穀物との物々交換であろう。この時代、子安貝が南海から倭にもたらされた可能性は皆無ではなかろうが、古墳や遺跡から出土したとの見聞には接しておらず、使われた可能性はないものと思われ、物々交換の可能性が高いであろう。
<続く>
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この鳥形木製品は朝鮮半島の鳥竿(ソッテ)と同じような目的で、竿に取り付けられ祭祀場に立てかけられたものと想像される。鳥は空高く飛ぶ、地表の様子がてにとるように分かる。其のことから集落の文の上にも取り付けられた。集落外の異人の侵入防止の役目、ひいては辟邪の標とされたのである。これと同じような形の埴輪が存在する。それは、和歌山県立風土記の丘資料館が展示する、下掲の埴輪である。
目的は、上に記した事柄と同じで、古墳時代も弥生期の風習を受け継いでいると思われる。
今回で、展示されていた弥生時代の遺物紹介を終え、次回は古墳時代の展示品を紹介する。
<続く>
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今回から弥生時代の出土品を照会する。
今日の陶磁器製食器とやや趣が異なるのは、高坏の存在である。高坏に調理済み食材を載せた。
現在の稲作と異なり、弥生時代の稲作はラグーン(潟)の湿田であった。その為の田下駄であり、木製鋤のような木製農具でも用をなしたのである。
<続く>