世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

和歌山で見たかったモノ(5)

2022-05-06 07:46:14 | 和歌山県

<続き>

和歌山の古代関連施設を巡って見たかったモノの5点目は、車駕之古址古墳出土の囲形埴輪である。

囲いの周囲の上部は、三角形の鋸歯文である。これは悪霊除け、つまり邪視点文である。囲いの中に悪霊が侵入するのを監視・防止すると古代の人々は信じていた。

この囲形埴輪の内側には覆屋が存在していたと思われ、それは殯屋(もがりや)・殯所(ひんしょ)であったであろう。その覆屋の内部には湧水施設か導水施設ないしは井戸が併設されていたものと思われる。

これらの囲形埴輪は、当該紀伊と畿内さらには伊勢の古墳から出土しているが、関東の古墳はどうであったか知らない。少なくとも畿内及び周辺では、古墳時代に殯の習慣が存在していたことになり、それは弥生時代からの習慣であったと思われる。

尚、埴輪からみる古代の喪葬・前編(ココ)を参考に願いたい。今回にて、『和歌山で見たかったモノ』シリーズを終了する。

<了>


和歌山で見たかったモノ(4)

2022-05-05 08:16:55 | 和歌山県

<続き>

和歌山で見たかったモノの4つ目は、和歌山市博物館展示の大谷古墳から出土した馬甲冑である。残念ながら馬甲片は目にすることはできず馬冑のみであったが完品状態で、これを見ていると騎馬民族は遣って来たと思わざるを得ない。

この馬冑は、高句麗の騎馬遊牧民の影響であろうが、高句麗から直接渡来したというより、百済・伽耶の地から渡来したであろう。

(釜山・福泉洞古墳出土 福泉博物館)

上掲パンフレットにあるように、馬甲を構成する鉄片がそれなりの数量出土しているが、展示されていたかいなかったのか、残念ながら目にすることはできなかった。

<続く>


和歌山で見たかったモノ(3)

2022-05-02 07:56:56 | 和歌山県

<続き>

先ず、入手したパンフレットを紹介する。

パンフレットにあるように『両面人物埴輪』の出土は、全国初で唯一であろう。それほど珍しい人物埴輪である。

ピンボケの写真で恐縮である。どのような埴輪職人が何を考えて作ったのであろうか・・・などと考えるのも面白いものである。

<続く>


和歌山で見たかったモノ(2)

2022-05-01 07:46:37 | 和歌山県

<続き>

和歌山の古代関連施設で見たかったモノの二つ目は、和歌山県立紀伊風土記の丘資料館で展示されている、飛ぶ鳥の埴輪である。パンフレットに縷々せつめいされているので、そのパンフレットから紹介する。

パンフレットには、嘴の先端がとがっているので、猛禽類を写したものであろうと説明されている。なるほど水鳥ではなさそうだ。古墳の被葬者に悪霊がとりつくのを猛禽類の眼で監視したのか。

写真は、吉野ヶ里遺跡の高殿に取り付けられた木製の鳥である。弥生時代後期と古墳時代の埴輪には、少なくとも400年程の開きがある。これらの飛ぶ鳥を同一に論じることができるのか?できないのか?興味を持たせる鳥形埴輪である。尚、この手の埴輪は、和歌山・大日山35号墳が初出で、他の埴輪からも出土したとの報に接していない。

<続く>


和歌山で見たかったモノ(1)

2022-04-29 08:02:27 | 和歌山県

過日、和歌山の古代遺跡関連施設を回ってみた。是非とも目にしたいものが存在していることによる。今回から数回に渡り、その見てみたかったモノを紹介する。初回は双脚輪状文(そうきゃくりんじょうもん)に関する埴輪である。

この双脚輪状文は、北部九州の装飾古墳に描かれていた。この文様は魔除けや辟邪文であろうと考えられており、そのモデルは団扇状の長い柄がついた貴人差し掛ける『さしば』との説、南海の『スイジ貝』との説が存在するが、定説化するまでに至っていない。

この双脚輪状文に関する埴輪(双脚輪状文形冠帽をかぶった人物埴輪)を知ったのは、何かは忘れたが種々検索中に、下のポスターを見たことによる。

過年度に熊本県立装飾古墳館で開催された、企画展のポスターである。見ると和歌山市・大日山35号墳出土とある。調べると和歌山県立紀伊風土記の丘資料館で展示されているとのこと。関東の古墳なら出雲からは遠すぎるが、和歌山なら何とかなりそうである・・・と、云うことで出かけてみた。下のパンフレットは、資料館でゲットしたものである。

鉢巻ではないが、頭全体に被るものではなく外周を覆うものである。このような習俗は、古代日本特有のものか、それとも東南アジアや北東アジアの少数民族にも見られるものなのか・・・アイヌ民族の『サパンぺ』に似ていなくもない。

辟邪文と思われる双脚輪状文形冠帽をかぶり、悪霊の侵入を防ぐ意図を感じることは出来そうである。

双脚輪状文は単なる辟邪文様だけではなく、古墳時代人の精神的な実用品であった可能性が高い。

<続く>