過日、雨の中を園部の南丹市文化博物館へ行ってみた。集中豪雨のような雨脚で苦労して行ったものの、展示内容はやや期待外れの感なきにしも非ずといったところであろう。
園部には、垣内(かいち)古墳と称する4世紀後半の築造で全長84mの前方後円墳が在り、出土遺物は重要文化財に指定されている。出土遺物をみると、それなりの首長が埋葬されていたと思われる。
三角縁神獣鏡
擬名帯神獣鏡
三角縁仏獣鏡
南丹市立文化博物館の展示品紹介は、以上の品々で終了とする。
<了>
過日、雨の中を園部の南丹市文化博物館へ行ってみた。集中豪雨のような雨脚で苦労して行ったものの、展示内容はやや期待外れの感なきにしも非ずといったところであろう。
園部には、垣内(かいち)古墳と称する4世紀後半の築造で全長84mの前方後円墳が在り、出土遺物は重要文化財に指定されている。出土遺物をみると、それなりの首長が埋葬されていたと思われる。
三角縁神獣鏡
擬名帯神獣鏡
三角縁仏獣鏡
南丹市立文化博物館の展示品紹介は、以上の品々で終了とする。
<了>
過日、中国に朝貢した古代の倭国使の人形が展示されているとのことで、京都・風俗博物館に出かけてみた。
そこには、古代の倭国遣使の人形が展示されているとのこと。具体的に云えば、梁時代の職貢図(しょっこうず)に描かれてる倭国使を人形にしたものだと云う。その職貢図は現存最古のものとされている。原作者は蕭繹(しょうえき、508~554年)と云われているが、原本は存在せず1077年宋代の模写である。そこに描かれている倭国使は裸足である。ほんまかいなと感じなくもない。何となれば邪馬台国の時代には木製の沓(くつ)が既に存在しており、弥生遺跡から遺物が出土している。いずれにしても一目見てみたい。
ところが、入館して見渡すがどこにも倭国使の人形はない。スタップに尋ねると数年前に撤去したよし。展示してあるのは平安貴族の人形とジオラマであった。
聖徳太子以降の歴史については、戦国時代と幕末以外には興味を持たないので、平安の雅な世界は早々に引き上げた。
<了>
<続き>
今回で、京大総合博物館展示品の紹介を終える。今回は中國古代の銭貨と青銅鏡である。
中国の戦国時代とは、前476年から秦が前221年に統一するまでの期間である。当時の日本では貨幣による商品の売買などは存在していなかった。
以上で京大総合博物館の展示品紹介を終える。
<了>
<続き>
今回は漢代の明器(めいき・副葬品)を紹介する。現在では日本の調査団が直接中国の古代遺跡を発掘調査することはできないが、戦前には可能であった。ここでは戦前の1929年に牧城駅東墓から出土した明器類である。
前漢は紀元前206年ー後8年までの王朝である。当時の日本は卑弥呼の時代を遡る、倭国争乱前夜の弥生時代であった。その時代中国では釉薬を用いた施釉陶器がつくられ、明器にも用いられていた。日本では土器の時代である。
当時を大幅に遡る1万5000年前の縄文時代草創期、日本の土器の厚さは5mmほどで、世界最先端の技術を要していた、中国では厚さ1cmの土器しかできなかったのである。しかし中国は日進月歩で施釉陶器を生み出したのである。その間日本は停滞した。
現在、それが再現されようとしている。日本は失われた10年どころか失われた30年になろうとしている。製鐵で負け、造船で負けに始まり近年では半導体で負けた。日本のGDP(国内総生産額)は2020年539兆円で1992年比6.7%で、約30年間で僅かの向上に過ぎないが、その間米国は4培、中国は3倍になった。日本は中国に朝貢外交を目指すのか、それとも縄文草創期のように最先端技術を極限に追及するのか。悪夢は見たくない。
京大総合博物館の展示品を紹介する中で、ついつい愚痴がでてしまった。恐縮である。
<続く>
<続き>
今回は中国・殷時代の展示遺物を紹介する。
古代というより上代の王権祭祀に必要なものは全て整っていたようである。
<続く>