東近江は民俗学の宝庫のように思われる。今回は、ある呪標を例に東近江と北タイの風習の類似性について紹介する。
先ず北タイの事例から紹介する。ターレオ(ต๋าเเหลว)と呼ばれる呪標が存在する。チェンマイ民俗学博物館では、このต๋าเเหลวをEagle eyeと紹介している、とすれば『鷹の眼とか鷲の眼』などの猛禽類の眼ということになる。その事例としてチェンマイ郊外のタイ・ルー族住居の門柱の横木に掲げられているターレオをご覧いただきたい。
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(写真出典:北タイ日本語情報誌Chaoの編集人Facebookより)
横木の中央に竹の枌を編んだ呪標が掲げられている。その中央には何やら白色のものが取り付けられている。これは呪文が書き込まれた紙片かと勝手に推測している。そしてその下には植物の種らしきものが吊り下がっている。これは何某かの意味を持つであろうが、素人の当該ブロガーには分からない。ついでに横木に表現されている白い綱による文様は鋸歯文と云い、魔除けの意味をもつ。
蛇足ながら日本でも鋸歯文が魔除けの意味を持つ事例を下に掲げておく。
ここで重要なことは、掲げられているターレオは結界を示しており、エイリアンの侵入を監視・阻止する呪標である。あわせて同じ意味をもつ鋸歯文も掲げられている。つまりタイ・ルー族の家屋に災いが無きよう、更には平穏でありますよう願う呪標に他ならないことになる。
尚、北タイでは民族により、ターレオの形は異なるようである。下の写真は昨年4月のCiangmai Newsに掲げられていた写真の一枚で、COVID-19の侵入から村を守るため進入路を封鎖した場面である。ここのアカ族のターレオは3枚羽根の風車の形をしている。このように民族によりターレオの形は、少しづつ異なるようである。
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そこで東近江のトリクグラズである。このトリクグラズの語源を調べるが、よくわからないでいる。”鳥潜らず”なのか”物盗り潜らず”なのか? 下に東近江は野洲市行畑の行事神社に掲げられている勧請縄のトリクグラズの写真を掲げておく。尚、トリクグラズとは注連縄の中央のシンボルと云うか肖形をそのように呼んでいる。
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先のタイ・ルー族住居の門柱の横木にみるターレオと大きさは異なるものの形状はよく似ている。このトリクグラズが掛かっている注連縄を勧請縄と近江では呼んでいる。この勧請縄は集落の出入口に掲げられる呪標で、タイ・ルー族やアカ族と同じく結界を示し、エイリアンの侵入を阻止する役割を受け持っている。
タイ・ルー族のターレオと勧請縄のトリクグラズの形状の類似性と、双方の同一の役割、片や猛禽類の眼と片や鳥潜らず・・・単なる偶然の一致なのか。このように双方が一致する事例(後日、別途紹介)が他にも存在することから、単なる偶然の一致とは考えにくい。
タイ族が史書に現れるのは、雲南の南詔国の後継・大理国からと云われている。雲南南部はタイ族に限らず、多くの少数民族が割拠していた。それらの民族の多くは、紀元前に中国の呉・越の地を源流とする説が存在する。中国・華北の動乱の際、多くの漢族が難を逃れて南下したが、それらの少数民族は漢族に追われて雲南や、ある一派は渡海して倭(日本)に逃れたであろうと云われている。タイ・ルー族やアカ族のターレオと東近江の勧請縄のシンボル・トリクグラズの類似性は、国境なき古代における民族間の交流・交易の証であろうか?
<了>