世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

天孫族神と出雲族神を祀る飛鳥坐神社

2020-02-29 06:42:50 | 大和国

物事を北タイと比較してみている自分自身が、不思議と云うか面白くもあり、恐縮である・・・と云うのも、飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)は何でもありの印象をうけるからである。

祭神は事代主命、飛鳥神奈備三日女神、高皇産霊神(たかみむすびのかみ 別名・高木神)、大物主神の四柱である。この中で天孫族神は高皇産霊神で、あとの三柱は出雲族神である。極論するなら敵味方同居である。

更に飛鳥神奈備三日女神の出自がはっきりしない。出雲國・須佐神社(祭神・素戔嗚尊)の社家系譜では、大国主神(大物主神)の子神の一柱に賀夜奈流美命の名が見られると云い、それが飛鳥神奈備三日女神だとする。このカヤナルミの母が“伽耶”から遣ってきて出雲系の大物主命と結ばれたのであり、事代主命の妹神と云われている。何か渡来系の匂いもする。

関裕二氏によれば、カヤナルミは伽耶を味方につけた出雲王朝の女王で、それは神功皇后だった・・・とする珍説も存在する。

(向かって左が男根柱、左が女陰である)

境内には男根・女陰の石造物が鎮座しており、何やらリンガ・ヨニのヒンズー世界を連想させ、南の島伝いに古代日本(倭国)に伝播したとの印象を受ける。今日も残る東南アジアの伝承に近いことも、北タイの人々に繋がる習俗の一つと考えている。何かしらワンダーの印象を受けた。

<了>

 


旬の筍・神崎屋

2020-02-28 08:28:45 | 京都

京の南・乙訓界隈で神崎屋を知らない人は、恐らく皆無であろう。春の筍に始まって松茸等の旬の食材がいち早く店頭に並ぶ。

25日から筍が店先に並んでいるとの情報、翌26日朝一に行ってみた。

向日市や長岡京市は筍栽培で著名である。当日は名物の焼き筍や筍御飯は月末からとのことで残念。暫く筍尽くしになりそうで、早春の味が楽しめそうである。

<了>

 


大和国出雲郷の出雲系諸神

2020-02-27 08:48:14 | 大和国

大和国の出雲郷(桜井市)とは、何時の代の命名であろうか? ・・・不勉強で知らないが奈良時代頃からであろうか。郷名もそうであるが、出雲系諸神が多いのも不思議と云えば不思議である。大国主命が天孫族に国譲りを行った後、出雲族が大和に強制移住させられたのか?・・・それとも出雲国(出雲族)の分派が蟠踞する大和国出雲郷の地に降下したのか?・・・空想は尽きない。

(出雲大社の東数百メートルの処に鎮座する命主神社の御神木)

(大和国出雲郷大神神社の御神木・巳の神杉)

平安時代編纂の『延喜式』には、出雲国造が上京して天皇の面前で奏上する神賀詞(かむよごと)に、大穴持命が国譲りの際に、自身の和魂(にぎみたま)を大物主櫛甕玉命(おおものぬしくしみかたまのみこと)と名づけて、大和国の大御和(おおみわ)の神奈備に、子の阿遅須伎高孫根命(あじすきたかひこね)の御魂を葛木の鴨の神奈備(御所市高鴨神社)に、子の事代主の御魂を宇提(橿原市河俣神社)に配置し、自ら(大穴持命=大国主命)は杵築(出雲)大社に鎮座したとある。おまけに素戔嗚命を祀る神社も複数存在する。その大物主を祀る大神神社に遣って来た。

大神神社拝殿前の鳥居は、その古様を示しているであろう。左右の柱に注連縄を渡すだけのものである。

その注連縄が面白い。向かって左側が注連縄の綯いはじめ、右側が綯い終わりで、綯い方向は反時計回り(右綯い)である。この注連縄は全国の神社では出雲大社と当該大神神社、出雲國一之宮熊野大社のみである。

つまり綯い始めと、綯い終わりの順序が、世の他の神社と反対である。これをもって出雲はことさらに異を唱えている。天孫族の故地大和で異を唱えているのは痛快である。

大国主は素戔嗚命の子ないしは、六世孫とも云われている。素戔嗚はアマテラスオオミカミの弟で天孫族にほかならず、従って大国主も天孫族に血は繋がる。つまり体制内野党で、立憲民主党や共産党とは大違いである。出雲の国民ではないが隣国因幡・伯耆の石破さん頑張れ。しかし安倍さんもあと一踏ん張りしてほしい。

<了>

 


桜井市谷の勧請縄

2020-02-26 06:10:09 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

桜井市の谷(東谷の交差点の南)に勧請縄が横たわっていた。集落の結界であろうが、都市化により境界であったかどうか判別しにくい。

旧道と思われる一角に地蔵堂と思われる堂宇あり。そこには、やはり境界を鎮護する双体道祖神が鎮座している。

勧請縄は金属ポールとポプラの勧請木の間に横たわり、中央には3本足の小勧請に小枝が結わえられている。

勧請木の根元には、稲藁、青竹御幣、小枝が荒縄で結わえられている。五穀豊穣祈願のためと考えられる。

近年の都市化により、周囲は360度見回しても家屋が立ち並んでいた。昔の集落の境界を示すものは、当該勧請縄だけであろう。

<了>


桜井市稲渕と柏森の勧請縄

2020-02-25 05:52:04 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

桜井市の稲渕の谷間を横切り男綱、柏森には女綱が渡らされている。現場には行っていないが、その勧請縄が明日香民俗資料館に展示されていた。

そこにはカンジョウカケとして由緒等が説明されているが、龍神ニ神のシンボル、無病息災、陽物を新婚家庭に持込み・・・云々は、後世の付会であろう。何時の頃から当該行事(祭事)が行われているか、そのことについての説明はない。

この勧請縄は結界以外の何物でもないと思われる。この勧請縄は稲渕集落の入口と出口に渡たらされてる。

結界としての勧請縄の歴史は古いと思われ、それは雲南から北タイにかけての少数民族の習俗と底流で繋がるものと思われる。

 

<了>