プトラジャヤは政治・行政の新興都市で、計画しつくされた街路が整然と並んでいた。
流石イスラム国家。写真は首相官邸で威風堂々としている。プトラ広場に面する。その手前は下写真のピンクモスク。
写真はプトラ広場。新興の政治都市であるが、観光バスが鈴なりであった。
いずれも官庁街でこれらの建物が通りに、ずらーっと並んでいる様は壮観ではあるが、何か無味乾燥でもある。
周囲は湖に囲まれている。橋の上からピンクモスクを写したものだが、その湖は自然湖か人口湖かは、調べておらず不明。
プトラジャヤは政治・行政の新興都市で、計画しつくされた街路が整然と並んでいた。
流石イスラム国家。写真は首相官邸で威風堂々としている。プトラ広場に面する。その手前は下写真のピンクモスク。
写真はプトラ広場。新興の政治都市であるが、観光バスが鈴なりであった。
いずれも官庁街でこれらの建物が通りに、ずらーっと並んでいる様は壮観ではあるが、何か無味乾燥でもある。
周囲は湖に囲まれている。橋の上からピンクモスクを写したものだが、その湖は自然湖か人口湖かは、調べておらず不明。
ケアンズの街角点描を紹介したい。下のモニュメントはアボリジニと関係があるだろう。郵便局とポストは日本同様赤色だった。
オーストラリアも訴訟の国? 事故が起きても責任を負いませんよとのアピールが凄い。
ハノイでは鳥の鳴き声を競わせている風景を垣間見る機会が多々ある。それに合わせて鳥籠を専門に商いする店も多い。籠はプラスチックや針金ではなく、伝統的な竹ひごであるのが、見る目には嬉しい。この鳥籠屋の一帯の電柱は、すごいことになっている。中には電気泥棒ごときメータなしで接続している輩も多いとのこと。なるほど電柱を見ているとさもありなん・・・との風景である。その電柱下の道は、バイクや車が乱れて流れている。まさに混沌そのもの。ここを横断する猛者がいる。我々にはできる芸当ではないのだが。泰山石敢當は沖縄でも多々目にする。良くも悪くも中華圏であることを示している。右の黒御影石に白文字は墓碑で、生年月日と命日である。ベトナムと云えば、アメリカとベトナム戦争を戦った。ハノイでも其の片鱗に触れることができる。B52の墜落跡である。周囲にはB52なる喫茶店が営業している。
今回はハノイの街角や移動中に見かけた、行商風景を4題。龍眼が鈴なりである。バイクの幅の大幅はみ出し。日本の交通法規を詳しくは知らないが、これは多分禁止で、日本ではお目にかかれそうにもない。
何れも自転車に満杯。逞しさ以外の何物でもない。他にもいろいろありそうだが、写真の4件以外には遭遇していない。
<続き>
ペナンと云えば孫文(孫中山)。中国、台湾では国父と呼ばれる。彼は革命資金調達のため世界を駆け巡った。中国人要人として世界を回ったのは、孫文が初めてであろう。その孫文が、1911年の辛亥革命前に4カ月間ペナンに滞在した。
その孫文は、E&O Hotel(イースタン&オリエンタル・ホテル)にも足跡を残している。
ホテルの裏手はアンダマン海。英国統治時代にキャノンを設置した。景色は良く当時の感慨にふけってみるのもよいであろう。
アフタヌーン・ティーに派手さはない。外の景色を眺めながらのひと時は至福の時間であった。
<ペナン:了>