過日、若狭町歴史文化館へ。若狭は継体大王生誕の地の西近江・高島に近く若狭の首長と、何某かの接触があったものと思われる。
若狭の古墳時代、上中地域には古墳が集中していた。北川を下れば朝鮮半島や九州へとつながる若狭湾に至る。南下すれば、近江を経て大和へ至る要害の地である。このことが上中地域に古墳が造られた大きな理由であろう。
向山1号墳:全長48.6mの前方後円墳
前方部から短甲や刀、剣、槍、鉄鏃などの武器・武具を納めた長方形の武器埋納施設が出土した。被葬者は武人で、金製の耳飾りも出土したことから重要人物であったと思われる。
十善の森古墳:全長68mの前方後円墳 6世紀初め
副葬品は金銅製冠、飾履、銅鏡、馬具、玉など多彩。6世紀、若狭の首長も百済との外交を展開したであろう。伽耶産と云われる金銅轡(くつわ)が出土し、百済系の金銅製冠や飾履、とんぼ玉が出土している。これらの富を背景として継体大王擁立の基礎となったと思われる。
残念ながら飾履は見なかったようだが・・・。
<了>