世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

チェンマイ・ソンクラーンが近づいた

2023-03-30 07:48:55 | チェンマイ

過日、ChiangmaiNewsを見ているとタイ正月(ソンクラーン)の水掛け祭りに関するニュースが掲載されていた。今年は仏暦2566年とのことで、ソンクラーン2566と銘うって開催するようだ。何時の時のソンクラーンかは知らないが、多くの写真が掲載されていたので、本番のソンクラーン前ではあるがそれを紹介する。

画面の金色の仏像は、旧市街のワット・プラシンに鎮座するシヒン仏と呼ぶ黄金の仏像である。この仏像が輿に載り市街を回ることからソンクラーンがスタートする。

多くの寺院では、写真の砂の塔が作られる。仏塔を模したものというより、須弥山であると云う。そこにトゥン(ธง)と呼ぶ幟をたてる。このトゥンは、『先祖供養』の意味合いが込められ、まだ昇天できない迷い霊を改めて空へ送るという役割があると云う。今年は、4月13日~15日まで開催されるので、観光でチェンマイに行かれる方は、水掛けばかりではなく寺院に参拝されれば、土地の風習を感じ取ることができるので、是非参拝して頂きたい。

しかしながら、ソンクラーンと云えば、やはり水掛けである。写真はチェンマイ都城(旧市街)を囲む濠であるが、その濠の水は汚水とはいわないが汚れがひどく、その水を掛けられれば結膜炎になりそうで、当地に赴任している間は濠の周辺は避けたものである。

・・・と云うことで、早々とソンクラーンの記事が掲載されていたので紹介したが、昨日も関連記事が掲載されていた。驚くことに、件の濠をソンクラーン前に浄化すると云う。従来なら考えられない記事である。

チェンマイ市は水抜きを加速し、濠をきれいにし、チェンマイの建都727年を祝う壮大な伝統(ソンクラーン)を開催する準備をしている。今年は例年以上に観光客の繁忙が予想される。

3月28日の報道によると、濠の底に堆積した汚泥を浚渫して、きれいにする準備ができたら、灌漑用水路からの新しい水を流すと云う。来たるソンクラーンフェスティバルを歓迎して、チェンマイの住民や観光客がきれいな水をはねかけ、安全に遊ぶことができるようにする。

濠の水抜きと浚渫が完了したら、石灰を散布して消毒した後、堀に水を放出し水質を改善する。清潔さと安全性を確保するため・・・と、記事は記している。これなら濠の周辺で水を掛けられても、多少安全かもしれない。

<了>


古墳時代の七不思議・其の弐:大きな馬に小さな人物

2023-03-29 08:40:13 | 古代日本

毎週水曜日に<古墳時代の七不思議>の七回シリーズを掲載するとしていたが、先週は失念していた。そこで今回は、その2回目として、『大きな馬に小さな人物』とのテーマで掲載する。

古墳時代の馬は、馬埴輪と装飾古墳の壁画に表されている。それは不思議なことに大きな馬に対し、人物が異常に小さく造形されている不思議である。

しかし、例外も存在する。先ずは、それから紹介してみることにする。それは、石川県小松市矢田野エジリ古墳から出土した、騎馬人物と馬曳人の埴輪である。写真は、小松市HPから拝借したものである。

手前の馬曳人は右手を掲げ、貴人が騎乗する馬の手綱を持ち、先導する様子を表わしたものと思われる。見ると、騎乗の人物と馬の大きさに違和感は感じない。縮尺比は同じようだ。しかしこのような比率の騎馬人物埴輪は、当該矢田野エジリ古墳が初例で我が国唯一のものと思われる。

これが示唆するのは、騎馬の人物が被葬者の生前の姿を表し、馬曳の人物は騎乗している被葬者の従者を示していると考えられる。

それと対称的な埴輪と壁画表現が在る。騎馬人物は馬が大きく、人物が異常に小さく表現されている。先ず、装飾古墳である福岡県桂川町王塚古墳の壁画である。

左右に4頭の馬が描かれ、そこには不釣り合いな小さな人物が描かれている。やや見ずらいので、人物と馬にスポットを当てた絵を下に示しておく。

このように、不釣り合いの事例を壁画で示したが、それは埴輪にも存在する。

高原西原古墳群出土・騎馬人物埴輪 太田市HPより

そこで、なぜ人物が異常に小さい不釣り合いが発生しているのか、との疑問である。

この小さな人物は、被葬者の魂を表し、馬は被葬者の魂を常世に運ぶ役割を担ったものである。それゆえ同じ騎馬人物であるが、冒頭の馬曳人物を伴う騎馬人物埴輪とは、本質的にことなることになる。このように人物を小さく造形することにより、被葬者の魂を表現していたのである。

<次週水曜に続く>


奴国の丘歴史資料館・須玖岡本遺跡(5)

2023-03-27 08:15:36 | 博物館・福岡県

<続き>

須玖岡本遺跡と周辺には、青銅器工房が散在していた。今回は、それらの遺跡から出土した青銅器鋳型を紹介する。

鋳型・広形銅矛

出土する鋳型に銅鏃(青銅製鏃・やじり)もあり、実に多彩である。更に鋳型は石製で、多くの青銅器が繰り返し鋳造されたことを物語っている。

<続く>


奴国の丘歴史資料館・須玖岡本遺跡(4)

2023-03-26 08:39:45 | 博物館・福岡県

<続き>

春日市ガイドブックからの受け売りである。奴国王墓とされる甕棺の内外から、30面前後の中国鏡やガラス壁(へき)をはじめ、銅剣、銅矛、銅戈といった青銅武器、ガラス勾玉や管玉な多数の品々が出土した。この甕棺の上には、既に紹介した長さ3.3m、幅1.8m、重さ4tの巨大な上石が置かれていた。この甕棺墓は他の墓とは距離を持ち単独であったことから、奴国王の墓と考えられ、年代的には、後漢・光武帝より金印を賜った王より、数代前の王墓と推定されると云う。以下、それらの出土品を紹介する。

王墓のジオラマ展示である。全体と王墓の甕棺・上石のジオラマである。

30面前後の中国鏡が出土したことは前述したが、草葉文鏡はその一つである。

これらの草葉文鏡を復元したものが、下の写真である。

王墓から出土した青銅武器類である。

右下段のガラスの勾玉は824個の小玉と一緒に発見され、勾玉の長さは4.8cmで弥生時代最大級とのことである。

上掲の品々は、渡来の武器類であるが、須玖岡本遺跡は青銅器工房でもあった。このように大規模のことが出来たのは、強力な王権と渡来の技術者が存在してのことである。

今回は、ここまでとする。

<続く>


奴国の丘歴史資料館・須玖岡本遺跡(3)

2023-03-24 11:20:23 | 博物館・福岡県

<続き>

奴国の中心である須玖岡本遺跡の出土品を紹介する前に、奴国を形成する、その他の弥生集落から出土した品々を紹介する。

須玖岡本遺跡周辺には大規模な集落が多数存在した。そこからは大陸や朝鮮半島との交易を示す品々が出土した。弥生時代中期から後期にかけての数多くの鉄製品が出土している。

以下、豊富な鉄製品の数々である。

丹塗土器は祭器であったと云われている。

<続く>