<続き>
今回で吹田市立博物館の展示品紹介を終える。最終回は須恵器窯の実物移転とレプリカ、その焼成須恵器を紹介する。高槻もそうだが、ここ吹田も須恵器の焼成窯址が多々存在しているようだ。
吹田53号須恵器窯址出土
吹田20号須恵器窯址出土
吹田9号窯址出土及び歴史時代の須恵器
全部で幾つ窯址が存在したか知らないが、53号窯址出土品が展示されていることから50基以上の須恵器窯が存在したことになる。多くの人びとが居住していたことになる。
<了>
<続き>
今回で吹田市立博物館の展示品紹介を終える。最終回は須恵器窯の実物移転とレプリカ、その焼成須恵器を紹介する。高槻もそうだが、ここ吹田も須恵器の焼成窯址が多々存在しているようだ。
吹田53号須恵器窯址出土
吹田20号須恵器窯址出土
吹田9号窯址出土及び歴史時代の須恵器
全部で幾つ窯址が存在したか知らないが、53号窯址出土品が展示されていることから50基以上の須恵器窯が存在したことになる。多くの人びとが居住していたことになる。
<了>
<続き>
今回は、古墳時代のムラとして垂水南遺跡が紹介され、その遺物が展示されていたので、それらを紹介する。
垂水南遺跡は千里丘陵に接していため、丘陵からの出水に悩まされていたようで、多くの排水用の溝が存在していたようである。そのための矢板などが出土している。
須恵器、土師器の出土と、線刻絵画土器が出土している。写真の長方形の線刻絵画は盾を表していると云われているが、甕に煤など煮炊きに用いられた様子が無いことから、祭祀用途であろうとキャップションは記している。
<続く>
先に新芦屋古墳のレプリカと出土品を紹介したが、今回は縄文時代の展示品と弥生時代の展示品を紹介する。
吉志部遺跡出土石器
ナイフ形石器、錐状石器、尖頭器等は、近畿地方中央部の地域性が伺われると云うが、その地域性と云うか特徴は記載されていない。吉志部遺跡の礫群
こぶし大の石が集中的に出土するものを礫群と云う。熱を受けている例があり、食物を加熱するためと考えられるという。
以下、弥生時代の展示品である。
弥生時代の遺跡として垂水遺跡とそこからの出土品が展示されていた。
垂水集落復元模型 縮尺:1/100
次回は古墳時代の展示品を紹介する。
<続く>
<続き>
古墳時代の馬具を紹介して最終回とする。
群馬県藤岡市出土の古墳時代中期後半ー後期にかけての馬具類である。金銅製であり見栄えはよさそうだ。
キャップションにあるように、展示の壺鐙は完品であり、中世の壺鐙に繋がる貴重なものである。
上掲6葉の写真の馬具類の出土地は不詳と記されている。
キャップションによれば、上掲の馬具類は堺市百舌鳥から出土したと記されているが、百舌鳥の何処からかについては記載なし。以上で関西大学博物館の展示品の紹介を終える。
<了>
<続き>
今回は埴輪と須恵器を紹介する。
武武人埴輪はパネル記載の如く、衝角付冑を被っている。下の冑は大阪府立近つ飛鳥博物館の展示品である。埴輪は当時の風俗を如実に反映していた。従って人物形埴輪の頭部髪型も当時の姿を反映したものである。
写真の蓋形(きぬがさがた)埴輪は、日葉酢媛陵のものを複製したものである。貴人には日光を遮るように蓋が掲げられていた。
次回は馬具を紹介する。
<続く>