世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

チェンマイの素焼き土器作り村・ハンケーオ

2018-04-30 16:04:41 | チェンマイ

今朝、ハンドン郡ハンケーオ地区(ตำบลหารแก้ว)の素焼き土器村へ行ってきた。幾つかのム―バーン(村落)で家内工業的に作っているとのこと。大きな通り沿いの工房である。そこは一村一品運動のOTOPの看板が掲げられている。

大きな素焼き土器のモニュメントが在るので、そこが工房であることがすぐに分かる。ここの素焼き土器は、紐作りの叩き成形で、弥生土器よろしく野焼き焼成とのことで、興味津々で訪れた。結論から云えば、この時期PM2.5やPM10の煙害禁止のため、野焼きは中止されていた。違反すれば、逮捕・罰金である。そのため薪窯が使われていた。

紐を積み上げた後、写真では分かりにくいが右手に叩き板を持って、叩きながら引き延ばしている。

成形が終わると、日陰干しかと思いきや天日干しであった。建屋の下には乾燥済みで焼成前の成形品が並べてある。

薪を使った焼成炉で素焼きをしている。焚口は左右2箇所。

最近は素焼き土器にペンキを塗るものもあるそうだ。以前は、下写真の場所で野焼きをしていたとのことであった。

このハンケオには、日本の陶芸家も訪れている。一人は13代中里太郎右衛門氏で、1971年に叩き技法のルーツ調査で訪れ、ここで作陶し帰国後、1996年まで所謂『半練(ハンネラ)』の水指、花生を作ったと云われている。さらに14代沈壽官氏も司馬遼太郎氏との対談で、訪れたことを述べている。

モニュメントの蓋付大壺(甕)も叩きで造形したとのこと。弥生の大甕成形技法が現在も使われている・・・驚きであった。

 

 

 


S'pore NUS Museum#3

2018-04-30 09:38:36 | 博物館・シンガポール

<続き>

今回から中国陶磁を中心に紹介する。東南アジア陶磁も展示されているようだが、訪問当日にそのブースが運悪く改装中で展示は極一部であった。先ず中国陶磁である。以下キャップションの簡体文字を当用漢字に置き換えて紹介する。陶磁名・焼成窯・時代・年代の順に記載し、焼成窯の表示はキャップション記載の通りとする。一部焼成窯不記載あり、それはそのまま記載しない。

 青磁双系蓋瓶 浙江越窯 北宋 960-1127年

 左 青磁双系盤口蓋瓶 浙江越窯 北宋 960-1127年

右 青磁蓮花紋壺 浙江越窯 北宋 960-1127年

青磁碗 浙江越窯 唐代中ー後期 8-9世紀

青磁盤 浙江越窯 唐代中ー後期 8-9世紀

鳥肖形哨子 湖南長沙窯 唐 618-907年

左右 褐彩水注 湖南長沙窯 唐 618-907年

緑彩水注 湖南長沙窯 唐 618-907年

点彩碗 湖南長沙窯 唐 618-907年

                          <続く>

 


S'pore NUS Museum #2

2018-04-29 09:35:11 | 博物館・シンガポール

<続き>

順不同であるが遼代の渡金青銅製の面が展示されていたので、それから紹介する。

(渡金銅面具 遼代 907-1125年)

(左 錯金銀緑松石銅帯鈎 戦国 前475-前221年)

(中 渡金鏤空龍紋帯鈎 戦国 前475-前221年)

(右 錯銀銅帯鈎 戦国 前475-前221年)

(銅鈴 戦国 前475-前221年)

(左 銅戈 戦国早期 前5世紀)

(中 銅鏃 戦国 前475-前221年)

(右 銅矛 春秋中期 前6世紀)

(重〇連弧銅鏡 西漢 前206-後25年)

(多乳博局式銅鏡 東漢 25-220年)

漢式鏡で卑弥呼の銅鏡百枚の前代に相当する鏡である。次回は中国古陶磁を中心とした展示品を紹介する。

 

                         <続く>

 


S'pore NUS Museum#1

2018-04-28 10:19:07 | 博物館・シンガポール

シンガポール大学付属博物館を訪れたのは、去る3月6日のことである。少し噺が古いが昨年末まで”物原出土のミャンマー陶磁片”展が開催されていた。訪問がそれに間に合わなかった残念さがあるが、東南アジア陶磁が常設展示(HPより)とのことで、出かけてみた。結論から云えば、東南アジア古陶磁の展示は極わずかで満足のいくものではなかったが、中国陶磁愛好家には垂涎の陶磁が展示されていた。今回は先ず玉と青銅器類を紹介する。

(石斧 新石器時代中晩期 前4000-2000年)

(青玉縁 戦国、青玉龍形配飾 戦国 前475-前221年)

(銅方壺 西漢 前206-紀元25年)

西漢すなわち劉邦による前漢は、一般的に紀元5ないしは8年迄と云われているが、ここのキャップションは25年としている。残りの青銅器は次回紹介したい。

 

                         <続く>

 


ワット・ケートカラームで見上げればリンチー(茘枝)

2018-04-27 11:15:46 | チェンマイ

一昨日、ワット・ケートカラームへ行った際、上方を見あげると赤い果樹がみえるではないか。よく見ると茘枝(れいし)で、タイでリンチ―(ลิ้นจี่)と呼び、一般的にはライチないしはライチ―と呼んでいる。

見る目が全くないのでよく分からないが、相当な古木で樹高数十メートルに達する古木である。推測の域を出ないが、チェンマイにおけるリンチ―の原木ではなかろうか?。

茘枝の原産は中国・嶺南、現在の広東、広西、海南各省で秦末漢初の南越国に重なる。唐代に楊貴妃は南から遠路、茘枝を求めこよなく好んだと云う。従ってワット・ケートカラームの境内でみたこの古木は、広東周辺から華僑が持ち込んだのであろうか?。

ワロロットからナワラット橋に向けての南端に、清邁本頭古廟なる廟が存在するが、多分道教色が強いと思われる。本頭公とは後漢光武帝の武将馬援との説もあるようだが、中国南部の土地神”地頭公”が移住先で祀られて、本地の地頭公が転じて”本頭公”になったのが通説である。つまり土地神となる。

チェンマイの華僑の出身地の詳細を知らないが、多くが先の嶺南からであり、潮州人が多いと云われている。つまりこの潮州人が持ち込んだと推測している。

ワロロッ(ト)市場は、ワット・ケートカラームの対面である。そのワット・ケートカラームはそれら潮州人の菩提寺であったっかと思われる(確かめたわけではなく、あくまでも推測であるが)。

チェデーの仏龕の左右には漢字による対聯が記され、そのチェデーの前には、写真の墓が存在する。

記された個人の氏名をみれば、中国の出身地が判然とするであろうが、当該ブロガーにその知識はない。ちなみにタイ人は墓を持たないとされているが、華僑とその末裔は墓をもつ。チェンマイにおける茘枝の原木と思われる大木をみて、思うところを綴った次第である。