今年二度目の宮崎、その足跡を記しておく。やはり宮崎は南国で、その証のようなものを見た、それは後程紹介するとして、行程順に記すことにする。
関門橋 門司側より写す
向かいは下関 海峡ゆめタワーを望む
霧島 宮崎道霧島SAより
ジャカランダ・南米原産 橘通り
やや見辛いが、南米原産のジャカランダと呼ぶ、紫色の花を咲かせる花木が並んでいる。
ブーゲンビリアに覆われる空港ビル 宮崎空港にて
ホリデーインリゾート青島
青島
鵜戸神宮
祭神は日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)。宮崎は神武天皇が東征出発の地で天孫族をまつる神社が多い。
皇宮神社
皇宮神社は宮崎神宮の本宮で、社殿は神明造りである。棟持ち柱構造で、弥生時代の棟持ち柱を持つ高床式建物の特徴を引き継いでいる。
以下、生目の杜遊古館展示物2点を紹介する。一つは宮崎特有の埴輪で、円筒埴輪の変形ないしは小型版である。
騎馬民族と思われる馬具や武具、装身具が出土している、その中の金製垂飾付耳飾である。
日南の飫肥城である。江戸時代は伊東氏飫肥藩の藩庁として栄えた。1572年、伊東義祐と島津義弘が戦った木崎原合戦で、島津義弘の「釣り野伏せ」にて伊東義祐は大敗するが、秀吉の九州平定により島津氏は、日向国の伊東氏旧領を明け渡し、伊東氏は10年越しに復帰することになった。
飫肥城大手門
伊東義祐を引き継いだ祐兵(すけたけ)の鎧兜
帰路は東九州自動車道を北上。途中宇佐から豊後高田へ。昨年訪れた時に週一の休みであった”そば処響”へ。石丸健二郎し兄君経営のソバ店である。
美味であった。ソバは我が出雲と信州、越前がよいが、響きも負けず劣らずであった。
<了>