過日、出雲弥生の森博物館にて『2024春季企画展』をみた。展示内容は”出雲の赤と黒”というべき内容であった。赤と黒は古来、聖なる色彩とされ、それは汎アジア的とされている。つまり災いを除く僻邪的色彩であった。その赤と黒は、我が出雲でも縄文時代から用いられていた。企画展で紹介されていた『赤と黒』を紹介する。
出雲市・京田遺跡(縄文後期)出土土器片
縄文時代の土器は、野焼きによる燻焼であったかと思われる。京田遺跡(約4000年前)出土の水銀朱が付着した土器片をみると、土器の表面は炭素が沈着し、磨かれて光沢がある。これが出雲における縄文期の”赤と黒”の代表例かと思われる。
キャップションというか説明ボードによれば、京田遺跡の水銀朱は北海道南西部のモノとのこと。直接か間接入手かは別として、縄文時代の交易がとてつもない広範囲であったことになる。
弥生時代の”赤と黒”である。順不同であるが展示に従って黒から紹介する。
出雲市・矢野遺跡 弥生前期
次は弥生時代の赤である。
水銀朱盾・出雲市海上遺跡出土 弥生時代中期
西谷3号墓第1埋葬施設の水銀朱
西谷3号墓には、八つの埋葬施設があり、4点の木棺の底に水銀朱が敷き詰められていた。その重量は約29kgで、従来は中国・陝西省産と推測されていたが、分析の結果北海道と岐阜県の鉱山産に近いという。
次に古墳時代の赤である(黒は省略)。
上塩冶築山古墳といえば金銅冠が名高いが、金銀装捩環頭大刀が出土している。それを分析すると、赤鞘大刀であることが判明した。その復元品が展示されていたが、何と鮮やかであろうか。古代の貴人は聖なる色で飾っていたことになる。
<了>