<続き>
長岡京市の恵解山古墳を御存知であろうか。大量の鉄製品が出土したことで著名な前方後円墳である。出土品は南隣の大阪府高槻市の今城塚古墳出土品と姿形が類似しており、特に埴輪に顕著に現れている。
展示パネル最上段に復元した鉄製品が木棺内に納めれている。それは大量の武器類であった。以下、復元品と出土物そのものをアトランダムに紹介する。
水鳥や家形埴輪は、先にも紹介したとおり今城塚古墳出土の埴輪と似ている。近しい首長の墓であったろうか。
<続く>
<続き>
長岡京市の恵解山古墳を御存知であろうか。大量の鉄製品が出土したことで著名な前方後円墳である。出土品は南隣の大阪府高槻市の今城塚古墳出土品と姿形が類似しており、特に埴輪に顕著に現れている。
展示パネル最上段に復元した鉄製品が木棺内に納めれている。それは大量の武器類であった。以下、復元品と出土物そのものをアトランダムに紹介する。
水鳥や家形埴輪は、先にも紹介したとおり今城塚古墳出土の埴輪と似ている。近しい首長の墓であったろうか。
<続く>
<続き>
今回は、京都府南部・乙訓地域の古墳時代の土師器・埴輪類を紹介する。出土品を見ていると、大阪府北東部の高槻の古墳出土品と類似点が多い。
<続く>
表記タイトルに関し過去記事にしている。前置きが長いが先ずココを御覧頂きたい。
結論から云えば、10世紀以前のビルマ北部に栄えたピュー族国家・驃国の都・タイエーキッタヤー(シュリークシェートラ)の砲弾型仏塔とランプーンのグーチャン遺跡の仏塔の類似性をもって、それは驃国の影響であろうと記していた。その根拠は驃国でピュー族とモン族(MON:断っておくが中国語で苗(Mhong)族と表記するモン族とは異なる)が同居しており、ランプーンはモン族国家のハリプンチャイ王国の故地であることが、その理由である。
(ランプーン:グーチャン遺跡 砲弾型の仏塔がピューのそれに極似している)
ところが、先日に紹介した『古島琴子著・雲南タイ族の世界』を読んでいると、以下のように記されて(要点を抜粋して記す)いた。
紀元前の中国は前漢の時代、瀾滄江以西の地を哀牢(あいろう)と呼び、多様な系統の住民を一括して『哀牢夷』と呼んだ。後漢に入り哀牢の地は永昌(ヨンチャン)郡が設置された。ヨンチャンとはタイ語のヴィエンチャン(象の城)を語源とし、哀牢夷のなかでもタイ族の祖先は有力であった。哀牢夷の人びとの中で、タイ族の祖先は鳩寮(きゅうりょう)であると云われ僄越(ひょうえつ)は僄と越に分けて僄はピュー(驃)族という説があるが、永昌郡域外すなわち現在の徳宏州からビルマ北部に至る地方のタイ族の祖先はピュー族と接し、その影響を受けていたであろう。
以上が要点である。当該ブロガーはモン族繫がりの類似性と考えていた。その可能性も捨てきれないが、タイ族がピュー族と接触していたことを古島琴子さんは指摘しておられる。古代の雲南からミャンマー西部、タイ北部は多くの民族が入り乱れ、一大文化圏を形成していた可能性を感じさせる話であった。
<了>
『長岡京市埋蔵文化財センター・シリーズ』を中断して紹介する。過日、島根県立図書館で【民族・民俗】に関する図書を検索していると、『雲南タイ族の世界・古島琴子著』なる書籍の背表紙が眼に飛び込んできた。冒頭、いきなり確信を突くような記述で、ついついはまり込み借用して読書中である。
その冒頭に、タイとは犂(からすき)を意味し、タイ族の祖先は最初に犂を使って土地を耕した人々という伝承があり、もっとも早く水稲耕作を始めた民族である・・・と、記されている。
著書の前半部分には、”攀枝花”(バンジイホア)の咲く処として、雲南省や東南アジア、インドに至るまで生息しており、古代や中世に花の実からとれる綿を衣服に用いたと記されている。
”攀枝花”(バンジイホア)とは、タイ語でดอกงิ้ว(ドーク・ギウ)と呼び、日本では”木綿(キワタ)の木”と呼び、パンヤ科キワタ属の落葉高木で、チェンマイでも郊外で見かけるそうだが、見た経験があるのかないのか?
この高木は中国南部から西南部に多く、雲南では攀枝花と呼ぶそうだ。早春、若葉の出る前に枝一面に赤い大輪の花が咲き、花のあとに瓜のような形の実がなり、美のなかの繊維を紡いで織った布を雲南では桐華布(とうかふ)と呼ぶようである。
(出典:Wikipedia)
(出典:Wikipedia)
その布は、吸湿性が少なく、肌にまとわりつかないため高温多湿の衣服にむいており、綿花の栽培が普及するまでつかわれてきたという。この桐華布を織ったのは”滇西越人(てんせいえつじん)”すなわち雲南西部のタイ族の祖先や、濮人(ぼくじん)すなわち佤族(ワぞく)や徳昂族(ドアンぞく)の祖先の女性たちであったことが唐代の史書『蛮書』に記されている。
このดอกงิ้วであるが、どうも食材のようだ。そういえばワロロッ(ト)で過去に乾燥した花の雄蕊を見た記憶が蘇ってきた。当時は何なのか、当該図書を読むまで知らなかったが、タイ・ヤイ(シャン)族が好む食材のようで、ナム・ニァオ(มํ้าเงี้ยว))はタイヤ・ヤイの定番料理のようである。味は未食のため知らない。
・・・といことで、当該書籍は面白い、ワンダーランドの世界である。折に触れて主要点を紹介したいと考えている。
<了>