訪問した時、寺院は改装中で、その中央にあるべき黄金柱は、基礎を残し分解して梱包保管されていた。その黄金柱について、寺院を管理しているであろうと思われる男性に質問すると、祭事に旗をたてるものだという・・・。個人的にはヒンズー教三主神かインドラ神の柱と考えていたので、当てが外れたかたちである。
帰国後調べてみると、やはり旗竿で大きな祭事や儀式が行われる数日前に、旗が掲げられるとのことであった。下の写真は改装前の黄金柱(旗竿)である。
曲解であろうが、これはリンガとヨーニ(台座)のように思われ、北タイで云う『インドラ神の柱』である。・・・旗竿に間違いないのだが、そう思いたい。
その黄金柱(旗竿)の左右前面に鎮座するのが、左のガネーシャ、右の少年神ムルガンである。ヒンズー教三主神では、写真の踊るシバ神像(別名:ナタラージャ)とその配属神パールヴァティー(別名:ミナクシ)を見ることはできたが、ブラフマー神とビシュヌ神像は見ることができなかった。多分見落としかもしれないし、案外この両神像はなかったかもしれない。
インドラ神はベーダ神話では最高神であったが、ヒンズー教ではその地位が下がり、今日の東南アジアのヒンズー寺院では、その偶像を見る機会がない。
下の写真はチェンマイ・ワットドイカムのインドラ神像である。
北タイではインドラ神(帝釈天)やブラフマー神などのベーダ神話におけるバラモンの神々と土着信仰が混交し、そこに上座部仏教が伝播してきたもので、当該ブロガーからみると何でもありの仏教に見える・・・。
下の写真は、チェンマイ遷都前にメンライ王が都を置いた、ウィアン・クムカームにあるワット・チャンカームの布薩堂正面入り口のインドラ神(帝釈天)で、3つ頭のエラワンに騎乗している。
ワット・ドイカムやワット・チャンカームのインドラ神像は何れも近代のものであり、これらが単純に中世の風景とつながるものではないが、中世の後期大乗仏教を背景にした、土壌があってのことであると考えている。
ところで、マハ・マリアマン寺院にて、信者であろうと思われる人が、祈祷を受け手首に赤い糸を巻き付けてもらっていた。これをプジャ・モーリと呼び、日時が経過すると、糸が切れて自然に手首から消えてゆく、そうすると幸運が訪れるという。
これは北タイでサーイシンと呼び、手首に木綿糸を僧侶がまいてくれる慣習と同じである。自然に切れるまで外すなと、タイ人に釘をさされたことを思い出した。それ程タイは、バラモンやヒンズーの影響を受けた土地柄であったのである。