世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

近江・印岐志呂神社

2021-04-19 08:15:59 | 近江国

印岐志呂(いきしろ)神社には古墳が二つあり、銅鐸も出土している。式内社で大己貴(おおなむち)命を祀ることから、相当古いと考えられる。

近江でなぜ出雲神である大己貴神=大国主が祀られているのかと云う疑問と、境外社として先に紹介した、天日槍を祀る安羅神社が鎮座している。

播磨国風土記には、伊和大神(=大己貴神と同神)と天日槍は土地争いをしたと記されている。云わば敵同士が祀られている。この印岐志呂神社をみていると、大己貴命と天日槍の関係が分からなくなってくる。近江は不思議な国である。

<了>


天日槍伝承の安羅(やすら)神社

2021-04-16 07:52:58 | 近江国

天日槍(あめのひぼこ)を祀る安羅神社は草津市穴村に在る。天日槍は、宇治川を遡上して近江に入り、「吾名邑・あなのむら」に一時滞在したと『日本書紀』に記されている。

吾名邑は、滋賀県坂田郡阿那郷、同県蒲生郡苗村神社と共に、ここ草津市穴村は、この吾名邑の候補地である。安羅神社の社殿の右手には「天日槍命暫住之聖蹟」なる石柱がたっている。

安羅神社の安羅を現在はヤスラと呼んでいるが、朝鮮半島南部の伽耶国の一つが安羅(あら)国であり、吾名邑の地名はそこからきていると云うが、この種の語呂合わせはどうであろうか。

この安羅神社の由緒は不明で、神社の創祀年代がハッキリしないが、式内社印岐志呂(いきしろ)神社の境外社であると云う。従って古社の可能性はあるものの良く分からない。

金達寿氏によると、天日槍の系譜は、息長帯比賣(おきながたらしひめ)、すなわち神功皇后に至る。息長氏は琵琶湖の東岸、和邇氏は西岸に勢力を張っていた。この二つの豪族は渡来人から出たものだと云われている。そして次のようにも云われている。「近江王朝は天日槍を象徴とする新羅・伽耶系渡来人集団=天日槍集団によってつくられた」と。これらの発言にコメントする知識は持ち合わせていないが、近江は天日槍に関する伝承が多いことは確かである。

<了>

 

 

 


苗村(なむら)神社

2021-03-03 07:37:24 | 近江国

先に記した「東近江への誘い(1)」に従ってUpdateしている。今回は苗村神社である。

近江は新羅や伽耶人の渡来地であろう。天日槍は宇治川を遡上して近江に入り『吾名邑(あなむら)』に一時滞在したと日本書紀に記されている。

蒲生郡竜王町に式内社・長寸(なむら)神社の論社①である苗村神社が鎮座している。なむらはあなむらの訛伝であるというが、何やら語呂合わせのようで違和感を覚えるが、ほぼ通説化しているので記しておく。

苗村神社は東西に本殿を有する珍しい神社であるが、東本殿の祭神である那牟羅彦神、那牟羅姫神、国狭槌(くにさづち)命のうち、前二柱の神を天日槍の夫妻であるとの説がある。

(東本殿鳥居)

(東本殿参道)

(東本殿:重要文化財)

苗村神社の近隣には、須恵器の古窯跡のある鏡山や須恵、弓削などの地名があり、天日槍との関係が云々されているが、後世の付会と思われなくもない、果たしてどうか。

西本殿は相殿とされ事代主神、大国主神、素戔嗚神という出雲の神々を祀っている。安和二年(969)に大和国の金峯山から遷座したという。

(西本殿・楼門:重要文化財)

(太鼓橋)

(楼門勅額・後奈良天皇下賜)

(神輿庫:重要文化財)

(西本殿:国宝)

(西本殿・拝殿)

これらのことから、二つの何だがありそうだ。一つは、出雲から勧請せず大和から勧請したとある。大和の式内社は216社で全国一の多さであるが、そのうち3割が出雲の神々を祀っている。大和に簒奪された古代出雲王朝。梅原猛氏ではないが、神々の琉竄であろうか。出雲からではなく大和から勧請されたことに何か理由があるのか。

二つ目は、東本殿に天日槍の夫婦神とされている神々を祀り、西本殿に大国主を祀る。天日槍と大国主は『播磨国風土記』によると土地争いをしたと記されている。つまり敵同士が祀られている。これはまさに何だとの想いである。苗村神社は謎が多い。

<了>