先に記した「東近江への誘い(1)」に従ってUpdateしている。今回は苗村神社である。
近江は新羅や伽耶人の渡来地であろう。天日槍は宇治川を遡上して近江に入り『吾名邑(あなむら)』に一時滞在したと日本書紀に記されている。
蒲生郡竜王町に式内社・長寸(なむら)神社の論社①である苗村神社が鎮座している。なむらはあなむらの訛伝であるというが、何やら語呂合わせのようで違和感を覚えるが、ほぼ通説化しているので記しておく。
苗村神社は東西に本殿を有する珍しい神社であるが、東本殿の祭神である那牟羅彦神、那牟羅姫神、国狭槌(くにさづち)命のうち、前二柱の神を天日槍の夫妻であるとの説がある。
(東本殿鳥居)
(東本殿参道)
(東本殿:重要文化財)
苗村神社の近隣には、須恵器の古窯跡のある鏡山や須恵、弓削などの地名があり、天日槍との関係が云々されているが、後世の付会と思われなくもない、果たしてどうか。
西本殿は相殿とされ事代主神、大国主神、素戔嗚神という出雲の神々を祀っている。安和二年(969)に大和国の金峯山から遷座したという。
(西本殿・楼門:重要文化財)
(太鼓橋)
(楼門勅額・後奈良天皇下賜)
(神輿庫:重要文化財)
(西本殿:国宝)
(西本殿・拝殿)
これらのことから、二つの何だがありそうだ。一つは、出雲から勧請せず大和から勧請したとある。大和の式内社は216社で全国一の多さであるが、そのうち3割が出雲の神々を祀っている。大和に簒奪された古代出雲王朝。梅原猛氏ではないが、神々の琉竄であろうか。出雲からではなく大和から勧請されたことに何か理由があるのか。
二つ目は、東本殿に天日槍の夫婦神とされている神々を祀り、西本殿に大国主を祀る。天日槍と大国主は『播磨国風土記』によると土地争いをしたと記されている。つまり敵同士が祀られている。これはまさに何だとの想いである。苗村神社は謎が多い。
<了>