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1999年に考古学会は、カンジーゴン窯を発掘した。発掘を見学していた好奇心旺盛な地元の人々は、過去に目にした陶片を紙上に描写し、グループのメンバーに紹介し始めた。プロジェクトの話しが広がるにつれて、土地が耕作されたときに陶片が地面から上がってくるという情報が、多くの人々によって語られた。これらの話からトワンテの南東にあるパヤジー(Phayagyi)やザウティー(Zawti)やパウッコーン(Paukkone)の村など、多くの生産拠点が発見された。
(カンジーゴン窯のブロック化した窯壁:出典・NUS博物館パンフレット)
(パヤジー窯址:出典・NUS博物館パンフレット)
(パウッコーン窯発掘前調査:出典・NUS博物館パンフレット)
窯場は主要な道路から竹林を越える必要があった。これらの窯に関連する製品の最大のカテゴリーは青磁である。発掘されていない場所では、異なるサイズの青磁の鉢と盤が落ち葉の中に埋もれていた。動物肖形はるかに少ない量で見つけられた。焼成室の窯道具の一部であった多くの管状支持体は、陶片の間に散在している。焼きあがった陶磁は、離れた場所に集められて選別され、失敗した品は捨てられた形跡がある。
パヤジーで出土した中国の青花盤は、パヤジー窯が15世紀であったとの時期を提供している(Nan Kyi Kyi Khiang 2009:44、Tsuda 1999を引用)。アラブ首長国連邦のJulfar(Sasaki 2002)の15世紀の遺跡の発掘調査では、ミャンマーの青磁鉢と盤が発見された。
(出典・NUS博物館パンフレット:出品ではなく写真掲示)
Julfarの青磁の形、釉薬、装飾的なスタイルは、トワンテ地域の窯場にあるものと同じであった。金沢大学の研究者らは、2つの地点からの陶磁の科学的分析結果が一致したことを確認した(Sasaki 2002)。ミャンマーの青磁は、レナ・ショールとブルネイ・ジャンクの2つの難破船から回収されている。これらは、15世紀後半から16世紀初頭にかけてのものであった(ブラウン2009:62,65)。これらの発見は、ミャンマーの青磁が時代の商業的利益の産物であったことを示しており、この陶磁器に関連するトワンテ周辺の窯の分布は、その地域が歴史的に重要な生産拠点であったことを示している。
<続く>