ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

奥只見ダム

2016-08-08 19:01:27 | 新潟県
2016年8月6日 奥只見ダム
 
奥只見ダムは左岸が新潟県魚沼市湯之谷芋川、右岸が福島県南会津郡桧枝岐村の阿賀野川水系只見川源流部にある電源開発(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
水量豊富で急流河川の只見川では戦時中から日本発送電(株)により電源開発が進められてきましたが、一方で各種利権の対立もあり尾瀬分水や只見川分流など様々な開発案が検討され混迷を極めていました。
1953年(昭和28年)に只見川上流域は電源開発、中下流から阿賀野川については東北電力というすみ分けが決まったことを受け両社は積極的な電源開発に邁進します。
電源開発は最上流部に奥只見、上流部に田子倉という日本屈指のダム・発電所建設を同時に進め、まず1960年(昭和35年)に奥只見ダム・発電所が、翌1961年(昭和36年)に田子倉ダム・発電所が完成しました。
奥只見ダムは総貯水容量6億100万立米(全ダム中第2位)、湛水面積1150ヘクタール(全ダム中4位)、堤高157メートル(重力式コンクリート第1位)と日本屈指のスケールを誇っています。
またダム直下の奥只見発電所は当初の最大出力32万キロワットから2003年(平成15年)の4号発電機増設により最大56万キロワットに増強され、これは一般水力発電としては日本最高出力となっています。
奥只見ダムは日本ダム協会により日本100ダムに選ばれているほか、豪雪地帯の水資源と地形を巧みに利用したダム・電源開発等の河川史や地域資産として高く評価され2023年(令和5年)に『只見川ダム施設群』として土木学会選奨土木遺産に選定されました。
またダム湖の奥只見湖もダム湖百選に選ばれています。
 
今回は訪問時に偶々発電所見学会が実施されており、一般水力発電日本一の発電所内部や、堤高Gダム日本一の堤体を直下から見上げることができました。
見学会についてはこちらをご覧ください。
 
小出から国道352号~シルバーラインが車でのアクセスルートとなります。
クレストにはラジアルゲート2門装備
すっきりとした堤体や直線状の導流壁など同時期に建設され田子倉ダム との共通点が多いデザイン。
 
電源開発のダムではおなじみ、ダムの銘版プレートが埋め込まれています。
 
天端はゲート手前で立ち入り禁止。
右岸にはガントリークレーンが鎮座。
 
減勢工はジャンプ台式、
河川維持放流を利用した小水力発電もおこなわれています。
小水力とはいえ落差157メートルを生かして最大出力は2700キロワットもあります。
 
導流部と減勢工
重力式コンクリートダム日本最高、堤高157メートルの迫力!
 
総貯水容量6億100万立米と日本第2位の貯水量を誇るダム湖(奥只見湖)
右奥のなだらかな山は日本百名山の平ヶ岳、その彼方は尾瀬になります。
 
上流面。
 
左岸から俯瞰。
日本屈指の豪雪地帯、ダム下流右岸側にはアバランチシュートが幾筋もできています。
 
今回は発電所見学会に参加できたので、普段は立ち入れないダム直下から見上げることができました。
導流部中段にハウエルバンガーバルブがあります。
 
ゲートをズームアップ。隣はエレベーター棟。
 
ジャンプ台式の減勢工。
 
(追記)
奥只見ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0500 奥只見ダム(0504)
左岸 新潟県魚沼市湯之谷芋川
右岸 福島県南会津郡桧枝岐村
阿賀野川水系只見川
157メートル
480メートル
601000千㎥/458000千㎥
電源開発(株)
1960年
◎治水協定が締結されたダム

黒又ダム

2016-08-08 18:00:00 | 新潟県
2016年5月21日 黒又ダム
     8月 6日 

黒又ダムは左岸が新潟県魚沼市大栃山、右岸が同市穴沢の一級河川信濃川水系破間川左支流黒又川にある東北電力(株)が管理する発電目的の表面石貼り玉石コンクリート造重力式ダムです。
破間川水系では融雪による豊富な水量に着目して戦前より電源開発が進められますが、黒又ダムもそんな発電施設の一つで1926年(大正15年)に北越水力(株)によって建設されました。
ダムおよび発電所は日本発送電による接収ののち1951年(昭和26年)の電気事業再編成により東北電力が事業を継承しました。
破間川から導水された水が黒又川に貯留されたのち、約3.1キロの導水路で上条発電所に送られ最大8000キロワットの水路式発電を行っています。
黒又ダムは黒又川にありますが、発電用水は破間川から導水されているため発電用取水ダムではなく発電調整池と言う括りになり上条発電所も水路式発電所になります。
なお黒又ダムは戦前の貴重な石積み堰堤としてBランクの近代土木遺産に選定されています。
 
入広瀬で国道252号から県道500号に右折し黒又川沿いに進むと左手に黒又ダムが見えてきます。
これまで大湊堰堤や青下ダムなど石貼りのダムをいくつか見てきましたが、黒又ダムもそれらと並ぶビンテージの石貼りダムです。
残念ながら越流はしていませんが、草が生え赤茶けた堤体はこれはこれでなかなかいいものです。
 
2度目の訪問、水量が多いせいか右岸から越流しています。(2016年8月6日)
 
ズームアップ(2016年8月6日)
 
左岸にクレストゲートがありますが、クレスト放流が行われることはめったにないようです。
1門だけのゲートビアですが、被覆されているのは雪国ならではですね。
 
丸みを帯びた越流面と前面に突き出た導流壁のアンバランスが目を惹きます。 
 
右岸の洪水吐
直角に折れ曲がった越流面も堤体です。
 
同じアングルで越流バージョン(2016年08月6日)
 
上流から
右岸側の洪水吐への越流面も玉石貼りとなっています。
 
ダム湖は堆砂が進み中州が出来上がっています。
発電ダムなので問題ないのですが、このまま堆砂が進めば湿原になりそう。
 
左岸の取水口
 
沈砂池への流入口
 
沈砂池
右手は余水吐のようです。
左手のスクリーンが上条発電所への導水路の呑口です。
 
一度見てみたかったビンテージダムです。
石貼りもさることながら、堤体が右岸の洪水吐に沿って長く折れ曲がり珍しいスタイルなのも目を引きました。
堤体から沁み出た錆色の骨材成分など見どころたっぷりでしたが、次回はぜひ豪快な放流を見てみたいですね。
 
この後は黒又川第一ダムへ向かおうとしましたが、ダムへの道の冬期通行止めが解消されていませんでした。
 
(追記)
黒又ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0722 黒又ダム(0397)
左岸 新潟県魚沼市大栃山
右岸     同市穴沢
信濃川水系黒又川
24.5メートル
228.4メートル
1454千㎥/469千㎥
東北電力(株)
1926年
◎治水協定が締結されたダム

黒又川第二ダム

2016-08-08 15:10:58 | 新潟県
2016年8月6日 黒又川第二ダム
 
黒又川第二ダムは新潟県魚沼市大栃山の信濃川水系破間川左支流黒又川にある電源開発(株)が管理する発電目的のアーチ式コンクリートダムです。
融雪による豊富な水量に着目して破間川流域では戦前より電源開発が進められ、これらの発電施設は1951年(昭和26年)の電気事業再編令により誕生した東北電力(株)が事業を引き継ぎました。
一方で尾瀬を水源とする周辺各河川の埋蔵電力は豊富で、只見川上流部や黒又川については電源開発(株)によって発電事業が進められることになりました。
事業に際して同じ電源開発の奥只見ダムから導水路で黒又川に分水し、信濃川を通じて新潟平野の灌漑用水供給を行うという『只見川分流案』も遡上に上がりましたが、関係自治体や企業間の利害対立もあり計画は混迷、結局電源開発が黒又川に巨大貯水ダムを建設することで事態の収拾が図られました。
電源開発(株)は1954年(昭和29年)より黒又川の発電事業に着手し、1958年(昭和33年)の黒又川第一ダムおよび発電所に次いで、1964年(昭和39年)に竣工したのが黒又川第二ダムです。
運用開始当初は最大1万7000キロワットの混合揚水式発電が行われていましたが、現在はコストの問題もあり一般水力のダム式発電のみとなっています。
 
黒又川第一ダムから第二ダムに通じる県道は2004年(平成16年)の新潟福島豪雨と中越地震により通行不能となり現在も通行止めが継続しています。
 
ダムには行けないのに電源開発小千谷電力所でダムカードが配布されています。
 
(追記)
黒又川第二ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0752 黒又川第2ダム
新潟県魚沼市大栃山
信濃川水系黒又川
82.5メートル
235.2メートル
60000千㎥/50000千㎥
電源開発(株)
1964年
◎治水協定が締結されたダム

黒又川第一ダム

2016-08-08 15:02:01 | 新潟県
2016年8月6日 黒又川第一ダム
 
黒又川第一ダムは新潟県魚沼市大栃山の信濃川水系破間川左支流黒又川にある電源開発(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
融雪による豊富な水量に着目して破間川流域では戦前より電源開発が進められ、これらの発電施設は1951年(昭和26年)の電気事業再編令により誕生した東北電力(株)が事業を引き継ぎました。
一方で尾瀬を水源とする周辺各河川の埋蔵電力は豊富で、只見川上流部や黒又川については電源開発(株)によって発電事業が進められることになりました。
事業に際して同じ電源開発の奥只見ダムから導水路で黒又川に分水し、信濃川を通じて新潟平野の灌漑用水供給を行うという『只見川分流案』も遡上に上がりましたが、関係自治体や企業間の利害対立もあり計画は混迷、結局電源開発が黒又川に巨大貯水ダムを建設することで事態の収拾が図られました。
電源開発(株)は1954年(昭和29年)より黒又川の発電事業に着手し、1958年(昭和33年)に竣工したのが黒又川第一ダムです。
ここで取水された水は約4.6キロの導水路で黒又川第一発電所に送られ最大6万1500キロワットのダム水路式発電が行われています。
さらに1964年(昭和39年)には第一ダム上流5キロ地点に黒又川第二ダムと第二発電所が完成、当初は最大1万7000キロワットの混合揚水発電(現在はダム式発電)が開始されました。
両ダム合わせて約1億立米の貯水容量により破間川は言うに及ばず下流の魚野川や信濃川の河川流量の季節変動を平準化し、結果として流域の減災や既得取水権への補給の安定化にも貢献しています。
 
黒又川第一ダムには2016年5月に訪問を試みますが、この時は道路がまだ冬期通行止めのため叶わず、8月の再訪でダムに到達できました。
5月21日は下流の黒又ダムの先でゲートアウト。
 
下流から遠望
昭和30年代の電源開発のダム共通の直線状の導流壁。
クレストにはラジアルゲート2門、このほか写真では見えませんが、常用洪水吐として低水位放流管も備えています。
 
 
右岸から。
 
電源開発のダムではおなじみ、ダム名の銘版プレート。
 
貯水池は総貯水容量4284万立米
対岸に大がかりな取水設備があります。
 
天端は車両通行可。
 
管理事務所を兼ねた黒又川第一発電所への取水設備。
 
ゲート操作室。
 
減勢工はジャンプ台でした。
 
管理事務所。取水口を兼ねています。
立入禁止エリアで釣りをするバカ1名。
 
上流の黒又川第二ダムへの道は依然がけ崩れのため通行止めです。
 
(追記)
黒又川第一ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0745 黒又川第一ダム(0503)
新潟県魚沼市大栃山
信濃川水系黒又川
91メートル
276メートル
42845千㎥/30627千㎥
電源開発(株)
1958年
◎治水協定が締結されたダム