ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

大町ダム(元)

2017-05-23 23:01:00 | 長野県
2015年11月21日 大町ダム(元)
2017年  5月21日
 
大町ダム(元)は長野県大町市平の信濃川水系高瀬川にある多目的重力式コンクリートダムです。
高瀬川は信濃川最大支流犀川の左支流で豊富な水量に着目して大正期から電源開発が進められる一方、洪水被害や扇状地での瀬切れも多くその治水は長く課題となっていました。
1969年の昭和44年8月豪雨では流域で壊滅的被害が発生、これを契機に当時の建設省(現国交省)は高瀬川上流部への多目的ダム建設を決定、7年の工期を経て1985年(昭和60年)に完成したのが大町ダムです。
大町ダムは国交省北陸地方整備局が直轄管理する特定多目的ダムで、高瀬川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、大町市・長野市など2市2町村への上水道用水の供給、東京電力リニューアブルパワー大町発電所での最大1万3000キロワットのダム式水力発電を目的としています。
また高瀬川上流にある東京電力リニューアブルパワー中の沢発電所の出力調整に伴う水位変動を緩和する発電逆調整池の役割も担っています。
2015年(平成27年)には国交省による『大町ダム等再編事業』が着手され、高瀬川上流に位置する高瀬ダム七倉ダム・大町ダムの治水能力強化および高瀬ダムの堆砂対策が進められることになりました。
治水強化については高瀬ダム・七倉ダムについては発電容量から洪水調節容量への振り替え、大町ダムについては水道容量から洪水調節容量への振り替えにより3ダム計1267万立米の洪水調節容量の確保が検討されています。
 
大町市街から県道326号を西進すると大町ダムに到着します。
国交省直轄ダムらしくダム左岸やダム下は園地になっています。
ダム下から
非常用洪水吐としてクレストラジアルゲート2門、常用洪水吐としてコンジット高圧ラジアルゲート2門を装備。
さらに利水放流用のジェットフローゲート及び高圧スライドゲート各1条を備えています。
 
右岸高台から
ダム中央には選択取水設備
 
取水設備とゲートをズームアップ
青いゲート群が鮮やか
左が選択取水設備、2門のクレストラジアルゲートの間にコンジット予備ゲートが並びます。
 
天端は歩行者のみ開放。
 
天端から見下ろすと
減勢工手前の建屋が大町発電所
左手は開閉所になります。
 
堤体から発電用水圧鉄管が突き出ています。
訪問時は発電所は稼働しておらず利水ゲートから放流中。
 
ダム湖は龍神湖で総貯水容量3390万立米
天気がいいと北アルプスが一望できます。
左手は烏帽子岳、右手は北葛岳になります。
 
左岸の艇庫とインクライン。
 
右岸から
 
対岸の建物は管理事務所。
 
ゲートをズームアップ。
 
 追記
大町ダムには洪水調節容量が設定されていますが、豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらなる洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1032 大町ダム(元)(0056)
長野県大町市平
信濃川水系高瀬川
FNWP
107メートル
338メートル
33900㎥/28900㎥
国交省北陸地方整備局
1985年
◎治水協定が締結されたダム
-------------
3686 大町ダム(再)
長野県大町市平
信濃川水系高瀬川
FNWP
107メートル
338メートル
33900㎥/28900㎥
国交省北陸地方整備局
2015年~

味噌川ダム

2017-05-23 19:00:00 | 長野県
2015年11月 3日 味噌川ダム
2017年 5月21日
 
味噌川ダムは長野県木曽郡木祖村小木曽の木曾川本流源流部にある水資源機構が管理する多目的ロックフィルダムです。
木曾川は古くから濃尾平野の水源として重用され、明治以降はその豊富な水量に着目して積極的な電源開発が進められました。
戦後経済復興政策全般を担っていた経済安定本部は1935年(昭和10年)より実施されていた『河水統制事業』を叩き台に多目的ダム建設を軸とした河川総合開発に舵を切り、1949年(昭和24年)に『河川改修改定計画』が採択されました。
木曾川水系においては『木曾川改修改定計画』が立案され手始めに木曾川本流中流部に多目的ダムとして丸山ダムが建設されました。
その後1962年(昭和37年)に成立した水資源開発促進法により、木曾川の河川開発事業は新たに組織された水資源開発公団(現水資源機構)に移管されることになり、さらに1968年(昭和43年)には愛知用水公団が水資源開発公団に併合されました。
愛知用水の水源としては1961年(昭和36年)に木曾川水系王滝川に牧尾ダムが完成していましたが、高度成長を受けた中京工業地帯の発展や急速な人口増加を受けて都市用水の需要増加は留まるといころを知らず、新たな水源確保は喫緊の課題となっていました。
そこで水資源開発公団は1967年(昭和42年)に木曾川支流阿木川への阿木川ダム建設を、1973年(昭和48年)に木曾川本流源流部に味噌川ダム建設をそれぞれ事業化します。
味噌川ダムは1980年(昭和55年)年より本体工事に着手し、1995年(平成7年)に牧尾ダム、阿木川ダムに続く愛知用水3番目の水源として竣工しました。
 
味噌川ダムは、木曾川上流域の洪水調節、既得取水権としての流域灌漑用水への補給と安定した河川流量の維持、愛知県・岐阜県・名古屋市への上水道用水の供給、愛知県への工業用水の供給、長野県企業局奥木曽発電所による最大4800キロワットのダム式水力発電を目的としています。
味噌川ダムから放流された水は木曾川中流部の兼山ダム湖にある兼山取水口および犬山取水口で取水され愛知用水に供給されています。
また味噌川ダムは天端標高1130メートルとなっており、竣工当時は日本一標高の高い『多目的ダム』でしたが、2007年(平成19年)に山梨県琴川ダムに抜かれ現在は第2位となっています。
 
愛知用水概略図(水資源機構ホームページより)
 
味噌川ダムには2015年(平成27年)11月に初めて訪問、2017年(平成29年)5月に再訪しました。
木祖村から県道26号を上高地方面に車を走らせると、かなり手前から右手に巨大なロックフィルが遠望できます。
県道から離れ木曽川沿いの道を進むと、ダム下に到着します。
 
真下から導流部を見上げます。
放流があれば迫力満点でしょう!
 
堤高140メートルで木曾川に建設された多くの中で最も堤高が高くなっています。
またロックフィルダムの中では全国第5位の堤高となります。
 
洪水吐は非常用、常用一体のバスタブ型。
常用洪水吐はローラーゲートとなっています。
 
天端から導流部を見ると
中央が常用洪水吐、左右は非常用洪水吐からのラインです。
 
天端は車両通行可能です。
 
減勢工は導流壁が高くなっています。
左は発電所。
 
天端からの眺め
正面に木曽駒が見えます
(2017年5月21日)
 
木曽駒をズームアップ
(2017年5月21日)
 
『奥木曽湖』と名付けられたダム湖は総貯水容量6100万立米。
木曽川の源流はここからもうわずか。
右手は取水棟です。
 
上流面
堤体は緩やかに湾曲しています。
 
右岸展望台から。
 
同じ場所から
季節が変わると色彩も変わります。
(2017年5月21日)
 
ダム周辺はちょうど紅葉の盛り、黄金色に色づいたカラマツ林の眺めは壮観です。
一方天端からは正面に木曽駒が見えるようですが、ちょっと雲がかかって残念。
2017年5月21日にバージョンアップしたダムカードをもらいに再訪しました。
前回は紅葉の盛りで下が今回は新緑真っただ中、前回は雲がかかってすっきりと見えなかった木曽駒がきれいに拝めて満足!
 
1035 味噌川ダム(0039)
長野県木曽郡木祖村小木曽
北緯度分秒,東経度分秒
DamMaps
木曾川水系木曾川
FNWIP
140メートル
446.9メートル
㎥/㎥
水資源機構
1996年
◎治水協定が締結されたダム

黒川ダム(参考掲載)

2017-05-23 16:08:14 | 長野県
2017年5月21日 黒川ダム(参考掲載)
 
黒川ダムは長野県木曽郡木曽福島町の木曾川右支流黒川にある中部電力の発電用重力式コンクリートダムで木曾川電力によって1938年(昭和13年)に建設されました。
木曾川の電源開発といえば福沢桃介率いる大同電力をイメージしますが、王滝川との合流点以北の木曾川源流部は木曾川電力によって開発され、1951年(昭和26年)の電力分割民営化では中部電力が事業を継承しました。
ここで取水された水は導水路で下流の城山発電所に送られ最大出力1300キロワットの発電を行っています。
 
国道19号の木曽大橋交差点から国道361号に入り木曽大橋を渡るとすぐに左折して南に進むと黒川ダムに到着します。
下流から
黒いローラーゲートが3門。
堤高13.484メートルに対して堤頂長14.6メートルと縦長になっています。
15メートルに満たないので縦長ダムランキングには入りませんが、もし15メートル以上なら帝釈川ダムに続く日本第2位の縦長ダムになっていました。
 
ピアや扶壁のコンクリートが白いのでここは改修されたんでしょう。
 
上流から。
 
ダムの直上を町道の黒川渡橋が通っています。
案内板ではこの橋は『下路ポニーボーストリングトラス』といい長野県内ではここにしかない珍しい形式だそうです。
 
逆方向から。
 
説明板。
 
ダム湖。
 
ダムのすぐ先には黒川渡ダムバス停があります。
地元では黒川渡ダムと呼ばれてるんでしょうか?
 
S006 黒川ダム(参考掲載) (1004)
長野県木曽郡木曽福島町新開
木曾川水系黒川
13.484メートル
14.6メートル
中部電力
1938年

大沢池

2017-05-23 14:01:51 | 長野県
2017年5月21日 大沢池
 
大沢池は長野県上田市上室賀にある灌漑用ため池で、ダム便覧によれば1921年(大正10年)に建設されました。
ダム便覧では事業者は土地改良区になっていますが、現在は受益者で構成される下室賀水利委員会が池の管理を行っています。
 
県道273号を北西に進み『室賀温泉』の案内板で左折、さらに公民館前を左折して橋を渡り山へと入ります。最初の分岐を右手に採ると大沢池に到着です。
下流面。
 
右岸の見慣れない設備・・・
計量器??と思ったら池栓でした。
 
洪水吐と上流面
洪水吐はコンクリートですが、上流面は原始的な姿を残しています。
 
パイ生地のような円形の洪水吐。
 
下流側から。
 
洪水吐導流部。
 
貯水容量2万9000立米の小さなため池
田植えシーズンということで取水設備からガンガン水を流し水位は低くなっています。
 
天端。
 
池の由来が分かる記念碑でもあるかと思ったら水神様でした。
 
山中に佇むひっそりとしたため池で、岡山県でよく見た眺めです。
小さいながらも下室賀地区の貴重な灌漑用水源で、折からの田植えシーズンのために池栓からは勢いよく流れる水の音が響いていました。
 
0981 大沢池(1003)
ため池データベース
長野県上田市上室賀
信濃川水系室賀川
15.3メートル(ため池データベース 13.6メートル
59メートル(ため池データベース 43メートル)
29千㎥/29千㎥
下室賀水利委員会
1921年

塩之入池

2017-05-23 12:21:33 | 長野県
2017年5月21日 塩之入池
 
塩之入池は長野県小県郡青木村にある灌漑用アースダムです。
上田を中心とした小県地方は内陸性気候のため年間降水量が極めて少なく、古来より灌漑用水の確保には苦労していました。
塩之入池は昭和恐慌や立て続けに起こった飢饉により疲弊した旧浦野村に対する国の救農土木事業として1939年(昭和14年)に建設され、現在は川西地区土地改良区が管理を行っています。
 
上田から国道143号を西進し、青木村に入るとすぐに大宝寺の標識に従って右折します。大宝寺入口をやり過ごし公民館前バス停で左に道に入ると塩之入池左岸に到着します。
上流から左岸洪水吐と上流面。
 
上流面はコンクリートブロックで補強されています。
 
洪水吐導流部
両側壁面は石積です。
 
天端から
下流にはのどかな農村風景が広がります。
 
総貯水容量21万立米の貯水池
奥には登山者に人気の子檀嶺岳の独特の山容が望めます。
 
天端には轍がありますが、車は対岸で行きどまり。
 
左岸の斜樋。
 
下流面
ジグザグに歩道が作られています。
 
洪水吐からの流路と取水設備からの樋管がダム下で合流します。
 
ダム下から。
 
眼下には典型的な農村風景が、上流には子檀嶺山が望めるのどかな農村の溜池です。
 
0991 塩之入池(1002)
ため池データベース
長野県小県郡青木村当郷
信濃川水系阿鳥川
18.5メートル
122.4メートル
210千㎥/208千㎥
川西地区土地改良区
1939年

沢山池

2017-05-23 11:13:57 | 長野県
2017年5月21日 沢山池
 
沢山池は長野県上田市の独鈷山南西の千曲川支流産川にある防災・灌漑目的のアースダムです。
千曲川南岸に広がる塩田平は鎌倉時代から信州の中心とて発展し農地開拓も進みました。しかし内陸性気候の影響で年間降水量が極めて少なく、一帯には多数の溜池が作られていました。
沢山池はこれら溜池群の水源として1936年(昭和11年)に建設され1996年(平成8年)には県の防災ダム事業で大幅な改修が行われ、新たに洪水調節機能が付加されました。
現在は上田市塩田平改良区が管理を行っています。
また塩田平の溜池ともども『塩田平の溜池群』として全国ため池百選に選定されています。
 
県道82号を走ると上田市新町で『さくら国際高校』の標識があるのこれに従って市道を南下、高校をやり過ごしそのまま直進すると左手に沢山池を示す小さな道票が現れ、ここを折れると沢山池左岸に到着します。
田園空間博物館の沢山池案内板。
 
下流面。
 
左岸の洪水吐と溜池(沢山湖)
貯水容量は108万立米。
 
左岸上流から
建物は管理事務所
緩やかに湾曲した洪水吐は管理事務所の下でトンネル式導水路を流下します。
 
ダムの下流の眺め
独鈷山の荒々しい山並みが続きます。
 
洪水吐は湾曲しており、手前に放流用のスライドゲートがあります。
奥の建物は艇庫、赤い設備は取水塔。
 
天端は車両通行可能
でも右岸側の道は土砂崩れで通行不能。
 
上流面はコンクリートで補強されています。
 
 
取水設備をズームアップ
水温が低いため表面取水となっています。
 
てっきり灌漑用ため池かと思ったら防災機能を持った立派なアースダムでした。
 
0987 沢山池(1001)
左岸 長野県上田市手塚
右岸     同市前山
信濃川水系産川
FA
25.5メートル(ため池データベース 26.9メートル)
87メートル(ため池データベース 65メートル)
1082千㎥/995千㎥
上田市塩田平土地改良区
1936年