ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

三滝ダム

2018-10-16 02:00:11 | 鳥取県

2018年10月8日 三滝ダム 

三滝ダムは鳥取県八頭郡智頭町芦津の千代川水系北股川源流部にある中国電力の発電目的のバットレスダムです。
電力事業が自由競争だった戦前、兵庫県西部から岡山・鳥取東部地域では姫路に本拠を置く山陽中央水電と岡山に本拠を置く中国合同電気が2大勢力となって対峙します。
両者の覇権争いは1928年(昭和3年)の山陽中央水電による中国合同発電の買収で決着がつきますが、三滝ダムを建設したのはこの山陽中央水電です。
三滝ダムは1936年(昭和11年)に山陽中央水電芦津発電所の取水ダムとして竣工、ここで取水された水は約1.5キロの導水路で芦津発電所に送られ有効落差189.32メートルを生かして最大出力2600キロの発電を可能にしました。
山陽中央水電傘下となった中国合同電気は1927年(昭和2年)にバットレスの恩原ダム建設の実績があり、さらに1933年(昭和8年)には奥津発電所調整池でもバットレス工法を採用しており、中国合同電気の技術的蓄積を生かして建設されたのがこの三滝ダムと言えるかもしれません。
なお、三滝ダム以降日本でバットレスダムが建設されることはなく三滝ダムは文字通り『最後のバットレス』となりました。
中国地方東部の覇権を握った山陽中央水電ですが、1942年(昭和17年)の電力統制令により発送電設備は日本発送電に接収され会社は解散解散しますが、戦後の電力分割民営化により誕生する中国電力の礎となりました。
三滝ダムはその土木技術的価値を評価して土木学会選奨土木遺産及びBランクの近代土木遺産に選定されています。
 
智頭町中心部から国道373号線を南下、郷原交差点で左折して県道6号に入ります。芦津地区で『芦津渓谷』を示す案内板に従って右折し北股川に沿って隘路をひたすら進むと三滝ダムに到着します。
ダムへは左岸上流側からアプローチする形となります。
対岸に芦津発電所への取水口があります。
 
上流面、バットレスではおなじみ傾斜がついています。
 
三滝ダムには左右両岸に洪水吐があります。
恩原ダム同様扶壁に溝が刻んであり、かつて可動ゲートがあったことが伺えます。
 
選奨土木遺産のプレート。
 
天端は中国自然歩道の一部で立ち入りができます。
 
総貯水容量17万8000立米と小さな溜池なみの貯水池です。
左手は取水口。
 
右岸側の洪水吐導流部。
 
右岸管理事務所の裏手を回り込むとバットレスに対面できます。
渓谷をせき止めた左右両岸に洪水吐を備えたV字形のバットレス。堤高23.8メートルとは思えない高度感があります。
 
右岸からダム下へと降りてみます。
 
まだ木々は青々とした葉を付けていますが、これが色づいたらサイコーの1枚になるでしょうね。
 
三滝ダム以前のバットレスダムは洪水吐が堤体本体と分離する形で建設されてきましたが、三滝ダムで初めて堤体に接続する形で洪水吐が設置されました。
傘下に置いた中国合同電気の技術を生かしながら、両側に洪水吐を設置するという新しい姿で最後に花を咲かせたバットレス。
三滝ダムはバットレス最終形と言っても過言ではないでしょう。
 
追記
三滝ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに14万7000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1673 三滝ダム (1390)
鳥取県八頭郡智頭町芦津
千代川水系北股川
23.8メートル
82.5メートル
178千㎥/158千㎥
中国電力(株)
1936年
◎治水協定が締結されたダム


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