ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

内場ダム

2018-01-11 01:46:33 | 香川県
2017年12月21日 内場ダム
 
内場(ないば)ダムは香川県高松市塩江町上西の香東川水系内場川上流部にある香川県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
香東川流域は江戸時代より讃岐を代表する稲作地帯でしたが、渇水による干ばつ被害が絶えず、大規模な灌漑用貯水池が渇望されていました。
流域農家は1937年(昭和12年)に内場池耕地整理組合を結成して陳情を繰り返し、1941年(昭和16年)にようやく県による灌漑・上水を目的とする内場堰堤建設事業が着手されました。
しかし戦争の激化により事業は中断、戦後、県はダムの目的に洪水調節を付加し建設省(現国交省)の補助を受けた補助多目的ダムに変更、新たに香東川総合開発事業として1949年(昭和24年)に事業を再開、1952年(昭和27年)に香川県初の多目的ダムとして内場ダムが竣工しました。
内場ダムは香東川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権として流域への灌漑用水への補給、高松市への上水道用水の供給を目的としています。
しかし内場ダム完成後も1979年(昭和54年)、1987年(昭和62年)と2度にわたり台風による大規模な洪水被害が発生、さらに県都高松市への人口集積による水需要増大もあり、内場ダムから東へ約3キロの香東川支流椛川に新たな多目的ダムとして椛川ダムの建設が着手され、2021年(令和3年)中の竣工を目途に事業は大詰めを迎えています。
 
高松市中心部から国道193号線を南下、高松市塩江町の『道の駅しおえ』手前を右折し県道7号に入ると右手に内場ダムが見えてきます。
クレストにローラーゲートが2門、オリフィスやコンジットゲートはなく利水放流設備から河川維持放流が行われています。
 
左岸にはプラント跡が残っています。
 
上流面
竣工は1952年(昭和27年)ですが、1941年(昭和16年)着工ということで各所に戦前、戦中のダムらしい造形が見られます。ゲート手前の半円形の取水設備もその一つ。
 
左岸のインクライン。
 
円形のカーブが美しい親柱とその照明設備も戦時中のダムらしいデザインです。
 
天端は車両通行可能
ゲートピア横には香川県営ダムではおなじみの螺旋階段。
 
減勢工と利水放流設備。
 
天端の照明も古いダムらしいデザイン。
 
左岸の階段が開放され、堤体沿いにダム下へ降りることができます。
 
プラント跡
遺構に絡みつく木の枝が竣工後65年の歳月を物語っています。
 
ダム下から
導流部中央の扶壁に乗る機械室
こちらも戦前の設計のようです。
 
上流から。
 
 
2165 内場ダム(1205
香川県高松市塩江町上西
香東川水系内場川
FNW
50メートル
157.4メートル
8175千㎥/7575千㎥
香川県土木部
1952年

夏子ダム

2018-01-10 14:57:32 | 徳島県
2017年12月21日 夏子ダム 
 
夏子ダムは徳島県美馬市脇町の吉野川水系曽江谷川上流部にある徳島県農林水産部が管理する灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
吉野川北岸地域は阿讃山脈から吉野川に注ぐ各支流が扇状台地を形成し平野部では軒並み伏流するため、古来より農業用水の確保は困難を極めていました。
さらに戦後、特産の藍が化学染料に押されて衰退し、藍農家の畑作転向が進んだことで農業用水需要が急増し新たな水源確保に迫られることになりました。
そこで徳島県は1979年(昭和54年)に曽江谷川への灌漑用ダム建設事業に着手、1994年(平成6年)に夏子ダムが竣工しました。
夏子ダムは夏子用水を通じて曽江谷川流域の農耕地に灌漑用水の供給を行うほか、2014年(平成16年)には河川維持放流を利用した小水力発電所が増設されました。
夏子ダムとほぼ同時に完成した国営の吉野川北岸農業用水により、吉野川北岸地区の悲願であった安定した用水確保がようやく実現したのです。
 
夏子ダムは国道193号線沿いにあります。
ダム手前の枝道を下るとダム下に出ます。
農業用コンクリートダムらしく洪水吐は自由越流式クレストゲート4門のみ。
 
ダムサイトに上がります。
『うだつの町並み』で有名な脇町らしく、右岸の管理事務所もうだつやなめこ土塀のが施された日本家屋風。
 
上流面
手前は取水設備。
 
天端
ゲート部分だけ前面に張り出しています。
 
右岸のインクラインと艇庫。
 
貯水池は総貯水容量160万立米
ダム湖右岸を国道が通り、湖岸にはパーキングがあります。
 
シュートブロック、バッフルピア、エンドシルと三点セットが並ぶ減勢工。
 
左岸から。
 
右手は2014年に完成した小水力発電所。
 
ダム湖上流のパーキングから。
 
ダム便覧では『なつこ』となっていますが、現地では『なつご』と訛るそうで、職員さんも『なつごダム』と話されていました。
 
追記
夏子ダムは洪水調節機能を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には水位低下運用もしくは事前放流により新たに3万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2136 夏子ダム(1203
徳島県美馬市脇町
吉野川水系曽江谷川
43.8メートル
133.5メートル
1600千㎥/800千㎥
徳島県農林水産部
1994年
◎治水協定が締結されたダム

岩倉池

2018-01-10 13:23:59 | 徳島県
2017年12月21日 岩倉池
 
岩倉池は徳島県美馬市脇町の吉野川水系吉野川左支流(河川名未確認)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧と現地改修記念碑によれば1932年(昭和7年)に県の事業によって建設され、その後1985年(昭和60年)から吉野川北岸農業用水からの補給が開始され、さらに1994年(平成6年)には県の溜池等整備事業による大規模な改修が行われ現在の姿となりました。
管理は脇町土地改良区が行っています。
 
美馬市中心部の脇町から吉野川左岸の県道12号を西進、脇町別所で県道106号を右折して北上、高速の手前で右手の枝道に入ると岩倉池に到着します。
大きく湾曲した堤体は、堤頂長195メートルにも及びます。
1994年の大規模改修により上流面はコンクリートで護岸されました。
 
天端わきにある1994年(平成6年)の改修記念碑。
 
こちらは1932年(昭和7年)の竣工記念碑。
 
小さな洪水吐。
 
洪水吐導流部。
 
堤体上流面の斜樋。
奥のパイプは吉野川北岸用水からの補給用パイプ。
 
天端はダートの車道。
 
パイプに沿ってダム下への階段が続きます。
吉野川北岸用水からここを揚水して補給されます。
 
階段を下りると取水設備からの水路と洪水吐からの導水路が合流します。
たぶんこの奥に底樋があるんでしょうが無理な立ち入りは自重しました。
 
吉野川北岸用水からの揚水設備
ここから岩倉池に水がポンプアップされ貯留されます。
 
よくある溜池の一つと思っていましたが、吉野川北岸農業用水からの補給を受けており、揚水設備などがあり見所の多い溜池でした。
 
3576 岩倉池(1201)
ため池コード
徳島県美馬市脇町岩倉
吉野川水系井口谷川
18.3メートル
195メートル
101千㎥/101千㎥
脇町土地改良区
1932年

デ・レイケ堰堤(大谷川堰堤)

2018-01-09 23:10:09 | 徳島県
2017年12月21日 デ・レイケ堰堤(大谷川堰堤)
 
デ・レイケ堰堤(大谷川堰堤)は徳島県美馬市脇町の吉野川水系大谷川にあるアーチ式石積砂防堰堤です。
、明治政府の招聘で来日したオランダ人技師ヨハネス・デ・レイケは、吉野川の治水対策として吉野川左岸の主要河川での砂防対策を提案、その一環として彼の指揮のもとにより1989年(明治22年)に建設されたのが大谷川堰堤です。
高さ3.8メートル、堤頂長97メートルは彼が関わった砂防施設の中でも最大規模を誇り、土木遺産としての価値を評価して国の有形文化財に登録されているほか土木学会選奨土木遺産、Aランクの近代土木遺産にも選定されています。
 
大谷川は『うだつの町並み』として有名な美馬市脇町を貫流しており県道251号線大谷橋から上流側にその姿を見ることができます。
堰堤のある大谷川両岸は公園として整備され、桜の名所として知られるほか、デ・レイケの母国であるオランダにちなみオランダ風の東屋も設置されています。
大谷橋から
背後は徳島道の高架橋。
 
緩やかに湾曲したアーチ状の石積堰堤が続きます。
 
 
 
水量が少ないと堰堤への立ち入りも可能です。
 
 
右岸にある登録有形文化財と選奨土木遺産のプレート。
 
デ・レイケの顕彰碑。
 
デ・レイケの母国オランダにちなみ東屋もオランダ風。
 
デ・レイケ堰堤(大谷川堰堤)
吉野川水系大谷川
砂防堰堤
石積アーチ式
3.8メートル
97メートル
徳島県
1889年

高西ダム

2018-01-09 15:48:33 | 徳島県
2017年12月21日 高西ダム
 
高西(こうざい)ダムは徳島県阿波市市場町尾開の吉野川水系日開谷川左支流高西谷川にある防災・灌漑目的のアーチ式コンクリートダムです。
ダム便覧には1954年(昭和29年)に徳島県の事業で建設と記されており、農林省の補助を受けた県の農地防災事業で建設されたようです。
ダムの管理は市場土地改良区が行っています。
四国で3基しかないアーチダムの一つですが、堤高はわずか16.8メートルで『日本で最も小さなアーチダム』の枕詞がつきます。
 
阿波市市場町尾開地区から、高西谷川沿いのダートの林道を1キロほど進むと高西ダムに到着します。
 
湾曲した天端には錆びついた手すりがあり苔に滑らないように慎重に進みます。
 
越流部手前の取水用のスピンドル。
 
越流部表面は石張りになっています。
扶壁には水止めの板を填め込む溝が刻まれています。
 
減勢工
高さ16.8メートルと日本で一番小さなアーチダム。
 
貯水池も総貯水容量2万1000立米と極小。
 
ダムからの帰路すれ違った地元の男性のお話では、最近は四国堰堤ダム88箇所巡りの影響で遠方からの訪問者が増えているようです。
 
3575 高西ダム(1201)
徳島県阿波市市場町尾開
吉野川水系高西谷川
FA
16.8メートル
37.5メートル
21千㎥/21千㎥
市場土地改良区
1954年

浦池

2018-01-09 14:49:24 | 徳島県
2017年12月21日 浦池
 
浦池は徳島県阿波市土成町浦池の吉野川水系九頭宇谷川にある防災・灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
ダム便覧では1966年(昭和41年)に徳島県の事業で建設と記されており、ダムの目的が防災及び灌漑ですので、農林省の補助を受けて建設された農地防災ダムと見るのが妥当でしょう。
永く位置未確認の『浦之池』としてダム便覧に登録されていましたが2012年に現在の浦池がダムとして認定されました。
ダムの管理者は土成西部土地改良区が行っています。
 
徳島道土成インターから県道139号を西進、二股を右手に取り広域農道に入り浦池地区で交差する県道236号を右折すると浦池に到着します。
 
下流から
一見すると砂防ダム。
 
いや、どう見ても砂防ダム・・・。
 
直下に副ダムと減勢工。
 
 
ダムの右岸に不動明王の石像。
 
天端?
立ち入りに制限はないようなので堤体中央へ進みます。
 
越流部手前に取水用のシャフトがあり、この堰堤の目的が防災だけでないことを示しています。
 
越流部。
 
砂防堰堤に灌漑や上水道などの目的を付加したハイブリッド砂防ダムも存在しますが、浦池は見た目は砂防ダムそっくりながら正真正銘の重力式コンクリートダムです。
 
3574 浦池(1200)
徳島県阿波市土成町浦池
吉野川水系九頭宇谷川
FA
19メートル
80メートル
41千㎥/41千㎥
土成西部土地改良区
1966年