小島教育研究所

教育関連ブログです。数学を筆頭に学問全般に渡る有用な情報を提供致します。
東海生、名高生、半高生に最も読まれています。

フィギュア大国日本の源流は伊藤みどりから。

2017-04-14 | 日記
現在の日本は紛れもないフィギュア大国だ。
多くの先人の中で、その源流と言えるのは、伊藤みどりをおいて、他にいない。
先頃引退を表明した浅田真央さんはその伊藤みどりさんの正統な後継者だった。
伊藤みどりさんに憧れ、スケートに励んだスケーターは多い。その伊藤みどりさんから、浅田真央さんの姉、浅田舞さんまでが学んだのが、現在の東海学園高校だ。

時計を逆に回そう。

 校門の緩やかな登りスロープを、凛とした姿勢の女性と松葉杖の少女が二人でユックリと登って来る。
1982年の夏休み。来訪の旨を告げると、担当者が呼び出された。その女性と松葉杖の少女は、山田満智子コーチと伊藤みどりであった。当時、前津中学校の2年生だったみどりは足を骨折していた。山田満智子コーチはみどりの卒業後の進学先を検討していたのだった。その内の一つの候補が、東海女子高校(現在の東海学園高校)であった。
みどりは予定通り東海女子高校に入学した。高校3年間、担任は体育科のO先生だった。N体育大学でスピードスケート長距離の選手であったO先生がみどりに挨拶その他の行儀作法をみっちり教え込まれた。同じクラスメートには同校の事務長さんの姪御さんをサポーターとして常に同行させた。粗相のないうよう、しっかりガードされたみどりであった。スケートだけでなく、スポーツ全般に並外れた能力を示していた。同校の教職員からなる応援部隊も組織され、その名を一水会といい、遠征その他の足しにと毎月会員がお金を貯めいていた。みどりからは年賀状や大会先からお礼のお手紙、葉書がよく送られてきた。その後も多くのスケート選手が入学をしてきたが、浅田舞さんを最後として、女子スケーターは中京さんがメインとなっていった。(安藤美姫、浅田真央以降)舞さんの礼儀正しさは東海学園高校時代に培われたと言っても過言でない。ちなみに、舞さんの担任はやはり3年間体育科のO先生であった。O先生は既に定年退職されている。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする