昭和40年の秋、虫プロダクションの経営の梃入れで、経理に高橋経理部長を外部から迎え、明治製菓の島方道年さんを、手塚治虫のマネージャーとして社長室部長として迎えた。55歳であった。2人とも口の悪い連中から天下りだなどと、陰口を叩く者も居た。
昔から今井専務がマネージャーとして、手塚治虫を支えてきたが、虫プロダクションの専務として多忙になったことと、虫プロ商亊の設立に当たって、最高責任者となってもらう予定でもあった。
社長室は手塚治虫の自宅一階に仕事場があり、アシスタントと一緒で、雑誌漫画などの執筆に当たっていたが、漫画部を、中村橋に移し、空いた部屋をアシスタントが仕事を出来るようにしたまま、社長室としてその部屋を使用した。
2階に応接室もあったが、そこは役員会議室とした。それまで社長秘書の宮下裕子さんはそのまま社長室付けとなり、新たに、進行の私が映画部のことをあまり知らない島方部長を補助するということで、社長室勤務を命じられた。
あとで入社した、大島さんや、運転手で長いこと手塚先生の身の回りの世話をしていた須崎さんなどもお手伝いした「展覧会の絵」が昭和42年芸術祭奨励賞や、大藤賞などを受賞した。
良い映画をもっと大勢の人に見ていただこうじゃないかと、さっそく島方部長と映画館など「展覧会の絵」の上映交渉を始め、2月4日丸の内ピカデリーで「恋人達の世界」と一緒に封切り上映にこぎつけた。
その後も島方部長と一緒に、明治製菓時代のお付き合いがあったところなどを、挨拶して回った。ユナイテッドアーチスト、教育映画社制作者連盟、松竹本社、日本音楽著作権協会など、映画に関係する会社に、何度も足を運び「展覧会の絵」がいかに良い作品かを説明して周り、1度見てくれるようお願いした、そのために16mmのフィルムも用意し見て見ましょうといわれたらすぐに届けられるように準備もした。例えば、松竹本社の野崎宣伝部長さんにも展覧会の絵を見ていただけると連絡を頂、すぐにフィルムを届け、見ていただいているし、4月には著作権協会へ行き、16mmの「展覧会の絵」をお見せしている。そして新日本興業株式会社、新宿東急文化会館「ミラノ座」支配人の秋田 馨様方や渋谷東急文化会館「パンティオン」支配人堀江 鈴男様ほか、それに 松竹セントラルの方々にあいさつ回りをした。
その努力が実って、4月には新宿ミラノ座 渋谷パンティオン 松竹セントラルの各映画館で、映画「天地創造」とともに「展覧会の絵」はロードショー公開することができた。
松竹の関係から、日本ヘラルド映画株式会社 関東支社長の沖本忠晴様などにも、島方部長と一緒にお伺いして「展覧会の絵」を見ていただいていた。
秋、日本ヘラルド映画株式会社の波多野三朗専務と名乗る人から、社長室に連絡が入った、「社長さんはおいでになられますか」との電話でその電話を島方部長に取り次いだ、何か良いことが、の予感があった。島方部長はその電話の重大さから、良いお話のようですと説明し、すぐに社長(手塚)と電話をかわった。
その話は。「劇場用に、大人のための娯楽長編アニメーションを作ってもらえないでしょうか」と言うアニメ制作の依頼であった。
昔から今井専務がマネージャーとして、手塚治虫を支えてきたが、虫プロダクションの専務として多忙になったことと、虫プロ商亊の設立に当たって、最高責任者となってもらう予定でもあった。
社長室は手塚治虫の自宅一階に仕事場があり、アシスタントと一緒で、雑誌漫画などの執筆に当たっていたが、漫画部を、中村橋に移し、空いた部屋をアシスタントが仕事を出来るようにしたまま、社長室としてその部屋を使用した。
2階に応接室もあったが、そこは役員会議室とした。それまで社長秘書の宮下裕子さんはそのまま社長室付けとなり、新たに、進行の私が映画部のことをあまり知らない島方部長を補助するということで、社長室勤務を命じられた。
あとで入社した、大島さんや、運転手で長いこと手塚先生の身の回りの世話をしていた須崎さんなどもお手伝いした「展覧会の絵」が昭和42年芸術祭奨励賞や、大藤賞などを受賞した。
良い映画をもっと大勢の人に見ていただこうじゃないかと、さっそく島方部長と映画館など「展覧会の絵」の上映交渉を始め、2月4日丸の内ピカデリーで「恋人達の世界」と一緒に封切り上映にこぎつけた。
その後も島方部長と一緒に、明治製菓時代のお付き合いがあったところなどを、挨拶して回った。ユナイテッドアーチスト、教育映画社制作者連盟、松竹本社、日本音楽著作権協会など、映画に関係する会社に、何度も足を運び「展覧会の絵」がいかに良い作品かを説明して周り、1度見てくれるようお願いした、そのために16mmのフィルムも用意し見て見ましょうといわれたらすぐに届けられるように準備もした。例えば、松竹本社の野崎宣伝部長さんにも展覧会の絵を見ていただけると連絡を頂、すぐにフィルムを届け、見ていただいているし、4月には著作権協会へ行き、16mmの「展覧会の絵」をお見せしている。そして新日本興業株式会社、新宿東急文化会館「ミラノ座」支配人の秋田 馨様方や渋谷東急文化会館「パンティオン」支配人堀江 鈴男様ほか、それに 松竹セントラルの方々にあいさつ回りをした。
その努力が実って、4月には新宿ミラノ座 渋谷パンティオン 松竹セントラルの各映画館で、映画「天地創造」とともに「展覧会の絵」はロードショー公開することができた。
松竹の関係から、日本ヘラルド映画株式会社 関東支社長の沖本忠晴様などにも、島方部長と一緒にお伺いして「展覧会の絵」を見ていただいていた。
秋、日本ヘラルド映画株式会社の波多野三朗専務と名乗る人から、社長室に連絡が入った、「社長さんはおいでになられますか」との電話でその電話を島方部長に取り次いだ、何か良いことが、の予感があった。島方部長はその電話の重大さから、良いお話のようですと説明し、すぐに社長(手塚)と電話をかわった。
その話は。「劇場用に、大人のための娯楽長編アニメーションを作ってもらえないでしょうか」と言うアニメ制作の依頼であった。