真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

虫プロ外伝11

2007年01月01日 00時00分01秒 | 虫プロ
軽自動車のマツダファミリアを乗っていたが、八木自動車の小尾さんがブルーバードの中古車を探してくれ購入した。ブルーバードは入社したとき使用していた車種で愛着があり、探してもらった。 父が車の塗装工場に勤めていた。テレビで自動車レールの放送がされたとき、クラシックカーのレースがあった。ミッキーカーチスさんがMGの箱型スポーツカーで出場していたが、その車を父が塗装しなおした、と自慢していた。このブルーバードはきれいに板金され、バンバー類を、鍍金にしなおし、父が、全塗装してくれることになった。当時まだ原色のカラー塗料がなく、たくさんの色見本から、MGとおなじ赤色を選んだ。
 内海君その彼女のチー子、そしてK子と新日本会館へ打ち合わせなどに行った、花嫁衣裳はチー子のご両親が作ってくれたことを始めて知り、実家のあるので、今度K子に見せてくれるという、「見せてもらおう」と言うと、「男性は当日見て」といいことわられる。1,000円の会費では、とても出来ない、当然持ち出しとなる。仲間が来てくれれば、来てもらえるほど、持ち出しが増え、出費が重なる、「でも一生に一度のことだから、バイトをしてでも頑張っちゃう」と彼が言う、そばで見ている彼女の目が輝いている。
父の会社は白金町にあった、が近くの日産の車両集積所へ出向していた。休みの日であったが、父一人で作業していた。社内の椅子やシートなど取り外す作業を手伝った。チー子とK子はそばで見ていた。音楽を聴きたいのでプレーヤーをつけることにして持っていっていた。この頃は、まだエイトトラックテープというものであった。ブルーバードはプラスアースなので、マイナスアースのオーディオはそのままで取り付けることは出来ず、壊れた机の木材を利用し、ボディーと隔離し、プラスとマイナス線を引いて取り付けた。後ろのボディーまで配線して、スピーカーも取り付ける。
結婚式までには、完成するので、「式が終わってホテルまでこの、真っ赤なブルーバードで送っていこう」などの話で盛り上がった。
今月に入って、内海ちゃんが休むことが多かった。結婚式で大変で、バイトしているのだろうと思っていたが、チー子にそのことを尋ねると、本当に具合が悪いとのこと、あまり張り切らず、虫プロの伝統で結婚式は皆が手伝ってくれるのだから、無理をするなと小言を言いながら、内海ちゃんのアパートまで2人を送り、K子を送って行った。車の中で「内海ちゃん、疲れているみたいね」とK子が言った。

5月8日金曜日手塚先生のお母さんから電話が入り、内海ちゃんの結婚式実行委員会に集合がかかった。休みがちだった内海ちゃんたちが来ていたから、最終的な打ち合わせをするためであった。受付は制作事務や総務課の女性人が、担当してくれることになり、それまでの出席者の確認もしてくれることとなった。ある程度のことがまとまった頃、仕事が一段落した手塚先生も顔を出した。
機嫌がよくいろんな話をしたが、忘れた、ひとつ覚えているのはアトムのことで、「アトムはぼくだ」と言うことであった。「アトムを、ローマ字で書くと、ATOMUだよね、治虫をローマ字で書くと OSAーMU 治OSAをぼくの得意なひっくり返すとASOそしてMU、ASOMUてゴロが悪いのであるファーベットでSを次のTにした、するとATOMU、手塚のTでもあるしゴロも良い、アトムを辞書で調べると原子のこととわかったし、これはいいとアトムにしたんだ、だから、アトムはぼくなんだ」こんな冗談であった。
「当日はぼくも出席できそうだ」といってくれ、仲人役のお父さんお母さんを一緒に乗せ、車で来てくれる事になった。

「先生が遅れるときは、司会者と仲人が遅れるわけには行かないので、私の赤い車でお送りすることにしましょう」と申し出た。

「そういえば、まさやんの結婚式のときだっけ、やっと買った新車なのに、皆がポスターカラーで、色とりどりにいたずら書きを書いて、」
「その上車の後ろ、バンパーやマフラーに空き缶をたくさん吊るして」
「皆に手を振られて出発したがその派手なこと」
「ガランガランて、空き缶が大きな音を立て、まさやん仕方なさそうに走っていったが、みんなは、腹を抱えて、大笑い」
そんな話が出て、皆が思い出して、笑った。
「そのあと知ってる?門を曲がって見えなくなったところで、ガソリンスタンドに入って、二人で空き缶をはずしたって」
「そうだったんだ、あのまんまじゃ、ホテルまで行けないよな」
「そして2人で車のいたずら書きを消したんだって」
「二人でやった初仕事がそれじゃ、あんまりだよね」
「ところが、彩色のペイントで書いた馬鹿がいて、」
「仕上のペイントって、消えないよ」
「だから袖口はびしょびしょ、靴もびしょびしょ」
想像してして、皆が腹を抱えて笑っている。

「そういえば気をつけないと、りょうちゃんの、結婚式だっけ、式が終わって、玄関まで見送られたあと、男性陣が新婦を胴上げするよね。奥さんに思いを寄せてた、おとこどもに、うらまれてか、胴上げで、天井にぶち当てられていた」
「米をまわよね、そのお米を思いっきり投げつけられていたわよね、」
「それって胴上げの写真に、写っていたよね」
「そうばっちりと」
「ねえ知ってる、そのあと、りょうちゃんが、お尻が痛いので、ホテルのお風呂の、おおきな鏡で見てみたんだって、そしたら、三つずつきれいに並んだ、あとがあったんだって」
「それってさっきの写真に写ってるんだってよ、ホークを持った手が、りょうちゃんの胴上げされて落ちてくるお尻のあたりに待ち構えているんだって」
「えっ知らなかった今度よく見てみよう」
また大笑いする。
「内海ちゃんも気をつけたほうがいいよ、一年足らずで結婚なんて、恨まれているかも」
そんな脅しをかけて、また笑う、気のいい仲間たちであった。

2人をアパートに送りながら、「皆に迷惑かけて申し訳ない」と言う彼に「結構皆は楽しんでいるんだ、迷惑なんて思ってるやつなんかいないよ、逆に喜びを分けてもらって、今日だってみんな喜んでいたじゃないか」と言った。
またやつれたように見えたが、「バイトもほどほどにしとけよ」といって2人と別れ、K子を送っていった。
「内海ちゃん元気なかったね」と言われたが、「結婚までの、苦労さ」と言った。

5月9日土曜日2スタ1階の私の部屋にも連絡がまわってきた。編集のまっちゃんの奥さん元虫プロの仲間が心臓手術をするのですが、輸血用の血液のため献血手帳が何冊も必要になったので協力を頼む。というものであった。
内容を聞くと献血するには献血手帳があると優先的に輸血血液をもらえるということらしい。
すぐに池袋の献血センターまで大挙して献血しに押し掛け献血手帳を作った、それが、虫プロの仲間たちであった。そしてその手帳を使ってもらった。その後も毎年1回献血していた。

5月11日月曜日日本テレビ20世紀 『日本誕生』で 山本 暎一さんと奥の部屋で撮影出しを始めとても忙しかった、夕方から暎一さんたちが飲みに行ってしまったので、それ以上の作業が出来ないでいると6時すぎ手塚先生のお母さんから電話が入って呼ばれ、心配して内海ちゃんの具合を見てきてねといわれた。その後、お母さんのピアノ伴奏で歌の練習をした。
 
5月12日火曜日日本誕生の撮影出しで暎一さんが出かけてしまうまで忙しく、10時近くまで仕事をしていた。待っていたK子と 10時すぎ、ずーと休んでいると言う内海君のアパートへ見舞いに行った。
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