7月スケジュールはどんどん無くなり手塚先生の第1話の絵コンテは遅れに遅れた、さばどころかめざし、を読んでのスケジュールはすでに無いものとなっていた。
オープニングは、中村橋に手塚先生の実験映画を制作するため、待機していた作画家の中の中村和子さんに個人的に手塚先生が頼んだ。これは私に中村橋の人たちは、絶対に手伝わせないで下さいといった手前、私にナイショで、頼んだ形になって、正式には知らされていなかった。だからオープニングは手塚先生が一人で、作ってしまったと、信じていた。
7月スケジュールはどんどん無くなり手塚先生の第1話の絵コンテは遅れに遅れた、さばどころかめざし、をよんでのスケジュールはすでに無いものとなっていた。
そんな中、1話のためになんにとも寝ないで仕事をしていた。仕上も東映動画やタツノコの友人たちから紹介された、かなり遠くの外注さんを使っていた。三ヶ島農協のさき16号国道に近い、宮寺という所での農家で、彩色を手伝ってくれたグループの人たちなどは、遠いところを来てくれているというので、徹夜で枚数を上げてくれたことをありがたく覚えている。
1話の撮影だし最終日には、撮影の菅谷さんの家まで届けに行った、その帰り道、いつものように裏の狭い道で、関越の下の道へ行こうと右折した、その先は下り坂であって、関越沿いに広い道がある、そこを突っ切って、裏道で、大泉学園のほうへ向けられる。
右折したまでは、覚えていた。そのあと熟睡してしまった。けたたましいクラクションの音で、目を覚ました。左を見ると車が迫っていた。思わず、アクセルを踏み込んだ。
ものすごい衝撃を受けた。後ろを見ると、車とカーブミラーの支柱に挟まれて後ろの席に隙間はなくなっていた。もしアクセルを踏まなかったら、そこに私の体があったわけであった。
警察での取調べがあったので、会社に知らせるのが遅れた。ギャランGTOは珍しかったので、通りがかった人から手塚プロに「あれでは大怪我か、死んでいるかもしれない」と連絡があった。すぐに島方社長が、現場に駆けつけた。車の状態を見て、気が遠くなったそうだ。取調べが済んで連絡をいれると迎えに来てくれた。会社に着くと手塚先生やスタッフ皆が心配して、出迎えてくれた。先生が島方さんに病院で検査を受けるよう付き添っていくよう指示してくれた。
この事故は、不幸な出来事であったが、島方社長が、個人の車を使わせてもらって申し訳ない、せめて、保険を入っておいて貰おう、と言うので、事故の前日もう1台の軽自動車と保険に入っていた。だから余り出費しないですんだ。
もうひとつは、言ってはいけないことなので、あえて書かないが、法的処分を受けないで済んだ、と言うことだった。
1話 「ミラクルキャンデーをどうぞ!! 」1971年10月3日 演出 手塚治虫
ある夜のこと、メルモの母親が酔っ払い運転の車にひかれ亡くなってしまった。
お母さんは天国へ連れて行かれた。神様たちの前で、もう一度メルモたちに合わせて欲しいと、お願いした。そのとき、運命の知恵の輪が外れた。願い事がひとつだけ叶えられるという知恵の輪だった。
生き返らせてもらえないのなら、残された3人の子供たちを大人にして欲しいと頼んだ。
神様は十歳年をとる青いキャンディと、反対に十歳若返るキャンディを作る。
2階の物干し台で、悲しんでいるメルモのところに、母親が現れてそのキャンディのビンを渡す。
両親のいなくなった、メルモ、それにトトオ、タッチは、遠縁の遺産(保険金)目当ての意地悪な伯母さんに引き取られることになる。しかしメルモたちは、引き取られることを嫌がった。
そこでメルモは青いキャンディーを食べて、大人になり、ママも服を着て母親になりすます。どたばたのあと、伯母を追い返すことに成功する。
放送時間の関係で、もうひとつのエピソードとして、
運転が乱暴な男の話。まるで進行の「やーさん」を予言するような話を入れた。
その話も解決してその夜、母親のまま、メルモは、トトオと一緒にお風呂に入っている。(ここは、サービスカットで、メルモの、裸を見せている、明らかに、話題になることをねらってのカットであった)
トトオは「お母さんではない、お姉ちゃんだ、」と言って、メルモであることがばれてしまった。
「どうしてわかったの」のメルモノ問いに「だって目が違う、お姉ちゃんの目だ」といった。
キャンディの秘密をトトオに話し、これからは3人でこの家を守っていこうと誓うのであった。
手塚先生は、久しぶりのテレビアニメということで、乗りに乗っていた。いろいろなアイディアをだしたりもした。
この一話では多くの作画を描いている。
特に伯母さんのしゃべりのシーンは、手塚 治虫ならではの表情としゃべりの表し方で、これがやりたかったのでは、と思えるほどであった。 アフレコのときに声優さんたちも、この表情の面白さに、乗りに乗ってアフレコをした。
オープニングは、中村橋に手塚先生の実験映画を制作するため、待機していた作画家の中の中村和子さんに個人的に手塚先生が頼んだ。これは私に中村橋の人たちは、絶対に手伝わせないで下さいといった手前、私にナイショで、頼んだ形になって、正式には知らされていなかった。だからオープニングは手塚先生が一人で、作ってしまったと、信じていた。
7月スケジュールはどんどん無くなり手塚先生の第1話の絵コンテは遅れに遅れた、さばどころかめざし、をよんでのスケジュールはすでに無いものとなっていた。
そんな中、1話のためになんにとも寝ないで仕事をしていた。仕上も東映動画やタツノコの友人たちから紹介された、かなり遠くの外注さんを使っていた。三ヶ島農協のさき16号国道に近い、宮寺という所での農家で、彩色を手伝ってくれたグループの人たちなどは、遠いところを来てくれているというので、徹夜で枚数を上げてくれたことをありがたく覚えている。
1話の撮影だし最終日には、撮影の菅谷さんの家まで届けに行った、その帰り道、いつものように裏の狭い道で、関越の下の道へ行こうと右折した、その先は下り坂であって、関越沿いに広い道がある、そこを突っ切って、裏道で、大泉学園のほうへ向けられる。
右折したまでは、覚えていた。そのあと熟睡してしまった。けたたましいクラクションの音で、目を覚ました。左を見ると車が迫っていた。思わず、アクセルを踏み込んだ。
ものすごい衝撃を受けた。後ろを見ると、車とカーブミラーの支柱に挟まれて後ろの席に隙間はなくなっていた。もしアクセルを踏まなかったら、そこに私の体があったわけであった。
警察での取調べがあったので、会社に知らせるのが遅れた。ギャランGTOは珍しかったので、通りがかった人から手塚プロに「あれでは大怪我か、死んでいるかもしれない」と連絡があった。すぐに島方社長が、現場に駆けつけた。車の状態を見て、気が遠くなったそうだ。取調べが済んで連絡をいれると迎えに来てくれた。会社に着くと手塚先生やスタッフ皆が心配して、出迎えてくれた。先生が島方さんに病院で検査を受けるよう付き添っていくよう指示してくれた。
この事故は、不幸な出来事であったが、島方社長が、個人の車を使わせてもらって申し訳ない、せめて、保険を入っておいて貰おう、と言うので、事故の前日もう1台の軽自動車と保険に入っていた。だから余り出費しないですんだ。
もうひとつは、言ってはいけないことなので、あえて書かないが、法的処分を受けないで済んだ、と言うことだった。
1話 「ミラクルキャンデーをどうぞ!! 」1971年10月3日 演出 手塚治虫
ある夜のこと、メルモの母親が酔っ払い運転の車にひかれ亡くなってしまった。
お母さんは天国へ連れて行かれた。神様たちの前で、もう一度メルモたちに合わせて欲しいと、お願いした。そのとき、運命の知恵の輪が外れた。願い事がひとつだけ叶えられるという知恵の輪だった。
生き返らせてもらえないのなら、残された3人の子供たちを大人にして欲しいと頼んだ。
神様は十歳年をとる青いキャンディと、反対に十歳若返るキャンディを作る。
2階の物干し台で、悲しんでいるメルモのところに、母親が現れてそのキャンディのビンを渡す。
両親のいなくなった、メルモ、それにトトオ、タッチは、遠縁の遺産(保険金)目当ての意地悪な伯母さんに引き取られることになる。しかしメルモたちは、引き取られることを嫌がった。
そこでメルモは青いキャンディーを食べて、大人になり、ママも服を着て母親になりすます。どたばたのあと、伯母を追い返すことに成功する。
放送時間の関係で、もうひとつのエピソードとして、
運転が乱暴な男の話。まるで進行の「やーさん」を予言するような話を入れた。
その話も解決してその夜、母親のまま、メルモは、トトオと一緒にお風呂に入っている。(ここは、サービスカットで、メルモの、裸を見せている、明らかに、話題になることをねらってのカットであった)
トトオは「お母さんではない、お姉ちゃんだ、」と言って、メルモであることがばれてしまった。
「どうしてわかったの」のメルモノ問いに「だって目が違う、お姉ちゃんの目だ」といった。
キャンディの秘密をトトオに話し、これからは3人でこの家を守っていこうと誓うのであった。
手塚先生は、久しぶりのテレビアニメということで、乗りに乗っていた。いろいろなアイディアをだしたりもした。
この一話では多くの作画を描いている。
特に伯母さんのしゃべりのシーンは、手塚 治虫ならではの表情としゃべりの表し方で、これがやりたかったのでは、と思えるほどであった。 アフレコのときに声優さんたちも、この表情の面白さに、乗りに乗ってアフレコをした。