9時目を覚ました。体内時計と言うのであろうか、服を着たまま寝ると9時に目を覚増すことができたのであった。
歯を磨き、顔を洗って、第1スタジオの、タイムレコーダーを押して戻ってきた。
2階で皆に朝の挨拶を、と2階の階段を登りかけると、上から牛越さんが血相を変えて降りてくるのにぶつかった。
「ね、内海ちゃんが、死んだって聞いた」
「牛ちゃん、言っていい冗談と言って悪い冗談があるんだ、何、言ってるんだ、きのう、病院行けって怒鳴りつけてきたんだぞ」
と今にも殴りかかれんとして怒鳴った。
「嘘じゃないんだ」
目から涙があふれ出ている。
「嘘じゃない、ほんとなんだって」…….。
「昨日11時半ごろだって、笠井君から連絡あって、オヌシたちが駆けつけたって。オヌシ行ったままだって」
牛越君の涙で冗談でないことがわかり、車に飛び乗って、牛越らと内海のアパートへ向かった。頭の中が真っ白でどこをどう走ったのかもわからない。布団に寝かされた彼は、きれいにひげがそられていた、合わされた手元に、短刀が置かれていた、笠井君がここまでやったんだ、気丈夫だなと感心した、涙があふれた。枕元にお線香まで置かれていて、お線香をあげそして手を合わせた、静かな寝顔であった。
武夫は今までの苦しさが遠ざかっていくのを感じた。まわりがとても静かであった。静子がお勝手で何か、こしらえている音だけが聞こえる、2人で行った、海や川、の思い出かよみがえる、まだ1年にもならない、二人の交際であったが、深い愛情を感じていた。そして時が止まっていた。彼女が作ってくれた、おかゆを一口食べさせてもらう、苦しさはもうない「少し横になる」と彼女に言った、彼女が手を添えて寝かしてくれた。横になるのは何日ぶりかであろうか。苦しみが走ったが、スーッと消えていく、とてもいい気持ちで、彼女に抱かれ、眠くなり、意識が薄れていくのがわかった。
静子はいつも、そうしているように、机にうつ伏せでうとうとしている武夫の足元に、寄り添っていた。武夫が起きたようなので「何か食べる」と聞いた、小さくうなずいたので、いつも食べてもらえない、おかゆを作った。ふうふうと、冷ましてあげながら、ひとくち食させた、武夫が「すこし、よこになる」といった。もう何日もふとんで寝られなかった武夫が「ねかせて」というのに驚いたが、手を添えて布団に寝かせてあげた。このまま布団で寝られるようになれば、からだの疲れも取れ、病気も早く直るのではないかと、少しうれしかった。
夜の11時をすぎていた、静子も看病で疲れていた、武夫の横に寄り添っていた。
武夫が、苦しんだので驚いて起き上がる、武夫を見ると死んだふりをしている。
これはだいぶ良くなったのだ、「ふざけて、死んだふりしてまた私を脅かそうとする」と静子は言った。
同棲し始めの頃、武夫が死んだふりして、おどかしふざけることがあった。わきの下をくすぐったり、おなかをつねったりする、すると我慢できなくなって、起き上がり、抱きしめてくれた。
そんな思い出が、頭に蘇った。
元気になってくれたのだ、うれしかった。すぐにやさしくつねり、わきの下をくすぐったりした。しかし、何の反応も無かった。こんなには我慢できないはず、驚いてほほを叩いたが、まったく動かなくなっていた。表情は穏やかであった、武夫の顔を覗き込んでただ見ていた、頭の中が真っ白で、世界がとまっていた、何も考えられず、何が起きたかもわからない、ただ、時間が止まっていた。
ふとわれにかえり、ドアを開け外に飛び出し、備え付けの公衆電話へ走った。小銭を持っていないことに気が付きあわてて戻って、茶だんすのなかの小瓶をつかみ電話へ走った。震える手でなかなか小瓶のふたが開かない、取れたふたが階下へ落ちていく、まるでスローモーションを見ているよう。小銭を落としながら、10円玉を電話にいれ虫プロへ電話を入れた。
虫プロ2スタ、作画の進藤さんの班が残業をしていた。進藤さんはその口癖で「おぬし」と言うことからオヌシ呼ばれ、兄貴分としてスタッフから慕われていた、作画のチーフであった。
近くの夜間用の電話が鳴った、進藤さんが電話を取ると「内海ちゃんが、死んじゃった」泣き声と、震える声で、その内容を理解するのに時間がかかったが、笠井君からの電話だとわかった。
回りのスタッフに知らせ何人かを車に乗せて、内海のアパートへかけつけた。開けっ放しのドアを開けると内海君のそばに放心状態の笠井君がへたりこんでいた。
すぐに救急車を呼んだが、あとで検視が来るといい、そのまま帰ってしまった。
笠井君に内海君の実家の連絡先を聞き実家へ連絡とったり、そのほかの指示もてきぱきと部下に指示していく。お線香をあげるものを用意させ、焼香し手を合わせ落ち着いたところで、顔を見ると、無精ひげが伸びたままになっている。かみそりを持ってきて、やさしく剃ってあげる、両手を合わせ、小刀をのせてやった。実に落ち着いてそれら、思いつくことすべてをしてあげた。
検視があるというので、笠井君を残して外に出された。公衆電話から会社に電話してK子に連絡した。すぐ迎えに行くことにして会社まで迎えに行った。アパート向かう車中で「強引にでも病院へ連れて行こうって言えばよかった」、「救急車呼んでって言えばよかった」と叫び続け泣いていた。アパートに着いたがしかし、そこには、内海君はいなかった。検視が終わり、連絡を取った、家族が八街の家につれて帰ったとのことであった。4時過ぎ手塚先生のお母さん、K子エノチャン、増田さんを乗せて八街の内海君の実家へ向かった。
5月15日金曜日は友引なので、葬儀は16日になった。結婚式場をキャンセルをした。
5月16日土曜日実家で葬儀が行われ、手塚先生始めたくさんの虫プロのスタッフが参列した。赤いブルーバードを一目見せようと、葬儀には1一人で行った。「内海君は少し笑っているみたいだった」と日記には書いてありひと月後には日記を書くのをやめてしまっている。
K子との交際が停止した。
数日後総務から電話で週刊明星の記者が内海君のことで取材したいと来ている、内海君の親友ということで、君を紹介したので今から、そちらに連れて行く」と連絡があり。集英社週刊明星編集部、長澤潔さんの取材を受けた。
歯を磨き、顔を洗って、第1スタジオの、タイムレコーダーを押して戻ってきた。
2階で皆に朝の挨拶を、と2階の階段を登りかけると、上から牛越さんが血相を変えて降りてくるのにぶつかった。
「ね、内海ちゃんが、死んだって聞いた」
「牛ちゃん、言っていい冗談と言って悪い冗談があるんだ、何、言ってるんだ、きのう、病院行けって怒鳴りつけてきたんだぞ」
と今にも殴りかかれんとして怒鳴った。
「嘘じゃないんだ」
目から涙があふれ出ている。
「嘘じゃない、ほんとなんだって」…….。
「昨日11時半ごろだって、笠井君から連絡あって、オヌシたちが駆けつけたって。オヌシ行ったままだって」
牛越君の涙で冗談でないことがわかり、車に飛び乗って、牛越らと内海のアパートへ向かった。頭の中が真っ白でどこをどう走ったのかもわからない。布団に寝かされた彼は、きれいにひげがそられていた、合わされた手元に、短刀が置かれていた、笠井君がここまでやったんだ、気丈夫だなと感心した、涙があふれた。枕元にお線香まで置かれていて、お線香をあげそして手を合わせた、静かな寝顔であった。
武夫は今までの苦しさが遠ざかっていくのを感じた。まわりがとても静かであった。静子がお勝手で何か、こしらえている音だけが聞こえる、2人で行った、海や川、の思い出かよみがえる、まだ1年にもならない、二人の交際であったが、深い愛情を感じていた。そして時が止まっていた。彼女が作ってくれた、おかゆを一口食べさせてもらう、苦しさはもうない「少し横になる」と彼女に言った、彼女が手を添えて寝かしてくれた。横になるのは何日ぶりかであろうか。苦しみが走ったが、スーッと消えていく、とてもいい気持ちで、彼女に抱かれ、眠くなり、意識が薄れていくのがわかった。
静子はいつも、そうしているように、机にうつ伏せでうとうとしている武夫の足元に、寄り添っていた。武夫が起きたようなので「何か食べる」と聞いた、小さくうなずいたので、いつも食べてもらえない、おかゆを作った。ふうふうと、冷ましてあげながら、ひとくち食させた、武夫が「すこし、よこになる」といった。もう何日もふとんで寝られなかった武夫が「ねかせて」というのに驚いたが、手を添えて布団に寝かせてあげた。このまま布団で寝られるようになれば、からだの疲れも取れ、病気も早く直るのではないかと、少しうれしかった。
夜の11時をすぎていた、静子も看病で疲れていた、武夫の横に寄り添っていた。
武夫が、苦しんだので驚いて起き上がる、武夫を見ると死んだふりをしている。
これはだいぶ良くなったのだ、「ふざけて、死んだふりしてまた私を脅かそうとする」と静子は言った。
同棲し始めの頃、武夫が死んだふりして、おどかしふざけることがあった。わきの下をくすぐったり、おなかをつねったりする、すると我慢できなくなって、起き上がり、抱きしめてくれた。
そんな思い出が、頭に蘇った。
元気になってくれたのだ、うれしかった。すぐにやさしくつねり、わきの下をくすぐったりした。しかし、何の反応も無かった。こんなには我慢できないはず、驚いてほほを叩いたが、まったく動かなくなっていた。表情は穏やかであった、武夫の顔を覗き込んでただ見ていた、頭の中が真っ白で、世界がとまっていた、何も考えられず、何が起きたかもわからない、ただ、時間が止まっていた。
ふとわれにかえり、ドアを開け外に飛び出し、備え付けの公衆電話へ走った。小銭を持っていないことに気が付きあわてて戻って、茶だんすのなかの小瓶をつかみ電話へ走った。震える手でなかなか小瓶のふたが開かない、取れたふたが階下へ落ちていく、まるでスローモーションを見ているよう。小銭を落としながら、10円玉を電話にいれ虫プロへ電話を入れた。
虫プロ2スタ、作画の進藤さんの班が残業をしていた。進藤さんはその口癖で「おぬし」と言うことからオヌシ呼ばれ、兄貴分としてスタッフから慕われていた、作画のチーフであった。
近くの夜間用の電話が鳴った、進藤さんが電話を取ると「内海ちゃんが、死んじゃった」泣き声と、震える声で、その内容を理解するのに時間がかかったが、笠井君からの電話だとわかった。
回りのスタッフに知らせ何人かを車に乗せて、内海のアパートへかけつけた。開けっ放しのドアを開けると内海君のそばに放心状態の笠井君がへたりこんでいた。
すぐに救急車を呼んだが、あとで検視が来るといい、そのまま帰ってしまった。
笠井君に内海君の実家の連絡先を聞き実家へ連絡とったり、そのほかの指示もてきぱきと部下に指示していく。お線香をあげるものを用意させ、焼香し手を合わせ落ち着いたところで、顔を見ると、無精ひげが伸びたままになっている。かみそりを持ってきて、やさしく剃ってあげる、両手を合わせ、小刀をのせてやった。実に落ち着いてそれら、思いつくことすべてをしてあげた。
検視があるというので、笠井君を残して外に出された。公衆電話から会社に電話してK子に連絡した。すぐ迎えに行くことにして会社まで迎えに行った。アパート向かう車中で「強引にでも病院へ連れて行こうって言えばよかった」、「救急車呼んでって言えばよかった」と叫び続け泣いていた。アパートに着いたがしかし、そこには、内海君はいなかった。検視が終わり、連絡を取った、家族が八街の家につれて帰ったとのことであった。4時過ぎ手塚先生のお母さん、K子エノチャン、増田さんを乗せて八街の内海君の実家へ向かった。
5月15日金曜日は友引なので、葬儀は16日になった。結婚式場をキャンセルをした。
5月16日土曜日実家で葬儀が行われ、手塚先生始めたくさんの虫プロのスタッフが参列した。赤いブルーバードを一目見せようと、葬儀には1一人で行った。「内海君は少し笑っているみたいだった」と日記には書いてありひと月後には日記を書くのをやめてしまっている。
K子との交際が停止した。
数日後総務から電話で週刊明星の記者が内海君のことで取材したいと来ている、内海君の親友ということで、君を紹介したので今から、そちらに連れて行く」と連絡があり。集英社週刊明星編集部、長澤潔さんの取材を受けた。