真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

ワンサーくん

2007年03月01日 11時20分53秒 | Weblog
ワンサーくんは、虫プロダクション最後のテレビシリーズ。

ワンサーくん の原作は1971~72年に「てづかマガジン レオ」に連載された。

 ワンサーくんは、はじめからサンワ銀行のマスコットキャラクターとして作られたワンサを主人公にした漫画だが、テレビシリーズはほぼオリジナル作品で、手自身は全く製作には関わっていない。
 とかかれているが、 

 当時手塚プロは練馬のサンワ銀行が、メインバンクで、サービスで給料など袋詰めをしてくれた、それを、取りに行った記憶がある。虫プロや、マッドハウスなども使用していた銀行でした。

 まんが連載も手塚プロ3階で目撃している。ワンサはもちろん三和の逆さ読みである。

 連載と同じくして、パイロットフィルムを制作した、ハズ、残っていないらしく発表はされていない。 しかし、その作業には、手塚先生が指示をしていたのである。
 だから、全く制作に関わっていないというのは、誤りである。

ワンサくんの版権も奪ったNさんは、山本暎一さんに、総監督をお願いした。

 これが後の「宇宙戦艦ヤマト」の複線となり、山本暎一さんが、すでに「ヤマト」の企画をしていたのは、目撃している。
 だから、ヤマトを企画したのは、山本暎一さんで、Nさんは「ヤマト」でも美味しい取りをしたわけだ。

 Nさんの居た虫プロ商亊が8月22日倒産した。
Nさんがドサクサ紛れに眉をひそめるようなことがあったという、噂が耳に入ったが、それ以上の事件にはならなかった。この時虫プロ商亊の社長は、手塚治虫であった。

 9月24日 「ワンサくん」の放送が、始まったが、Nさんが、虫プロの役員(取締)になったという、嫌な噂も耳に入った。

 だから「虫プロも倒産するだろう」という不吉な想いが頭をよぎった。

ワンサーくん   公表されているスタッフ
企画             西崎 義展    瑞鷹エンタープライズ
脚本             藤川 桂介
音楽             宮川 泰
監督             山本 暎一
プロデューサー       西崎義展
制作             虫プロダクション     関西テレビ
原作             手塚 治虫
キャラクター         永嶋 慎二
制作担当          柴山 達雄   (虫プロダクション)
                道広 秀次郎  (関西テレビ)
               
設定制作          佐藤 洋     (1~8話)
設定制作          原田 益次    (9話~)
作画             森田 浩光
美術             半藤 克美
音響             明田川 進
効果             柏原 満
録音             東京スタジオセンター
現像             東京現像所
主題歌
オープニング   「ワンサカワンサくん」
エンディング   「ピンコラ音頭」
            (14話のみ「ミドリちゃん」ホーン・ユキ)

  ロイヤルナイツ、シンガーズ・スリー(日本コロムビア・レコード)

 最終回が9月24日に放送された。

 ワンサーくんが終わり次の虫プロの企画は何も無かった。2スタに行くと組合長となっていた、編集の伊藤さん(現在の社長)を中心として、弱者である彩色などの人たちが、ほかの会社の仕事を貰って、外注仕事をして頑張っていた。

 撮影の友人は、やはり外注の仕事をしようと仕事探しをしていたという。
 倒産の噂も出ていた。撮影班では、もしも虫プロが、解散するなら、撮影機を買い取って、外注で、頑張ろうという相談までしていたという。

 はたして11月1日虫プロは、倒産した。管財人が入り、資産が凍結された。

 撮影班のスタッフたちは、自分たちの目を疑った。いつの間にか撮影機と撮影台が、役員を辞めていたNさん名義に2足3文の値段で売り渡されていたのであった。

 Nさんは 役員として何の責任も取らなかった、どころか、額にまた膨大な利益を得ていたのであった。

 虫プロを追われたスタッフたちには、何も残されていなかったという。

 貧乏くじというには余りにもひどい悲劇、最後の虫プロダクション社長の川畑栄一さんは、三億という負債を背負った。そのため、家族を犠牲にし、別れた。どん底の生活を強いられてしまったが、やっと今は一人練馬で福祉関係のボランティアをしている、という噂が届いた。

 伊藤さんも虫プロという名前を守るため、組合という形で、血のにじむ努力をされた。何も出来なかった私たちは、頭を下げるしかない。そして現在虫プロダクション株式会社、取締役社長として、頑張っておられる。
 その苦労がたたってか、最近隊長を崩されているという噂が耳に入ったが、いつまでも元気で、虫プロを発展させてもらえるよう、祈っている。


コメント
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