真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

虫プロ商亊倒産

2007年03月04日 07時36分42秒 | 虫プロ
 虫プロ商亊は版権管理や出版をおこなっていた。
出版で「COM」の運営は苦しくなって休刊してしまったりしたが、版権というロイヤリティは、作品が出来上がり、キャラクター商品が売れれば、黙っていても入ってくるので楽な運営であるはずであった。

しかし、美味しいところには多くの心無い人たちが群がった。

昭和46年9月虫プロ商亊から、組合争議の火の手が上がった。結果手塚治虫が虫プロ商亊の責任を引き継ぎ、社長となった。

 手塚先生は当然多忙、実務は社長代行が牛耳った。その彼が企画した幼児向け新雑誌「れお」が惨憺たる赤字を生んでいった。

 経営状態は急激に悪化していった。人員整理など梃入れしたが,窮状を打開できず、昭和48年には虫プロ商亊の運営は、債権者委員会によって行なわれていた。

手塚社長とは名ばかりになってしまっていた。委員会でも内紛が起こり、経営状態は上昇してきたにもかかわらず、8月22日不渡りを出し、倒産したのであった。

累積赤字1億2千万円弱といわれている。

虫プロ商亊の倒産は、虫プロダクションとは全く関係ないのであったが、マスコミが虫プロ商亊と、虫プロが、影響あるような、過大に報道したり、そのため一般の人たちも虫プロ商亊と虫プロを、混同し、虫プロダクションのイメージが、落日のように落ちていった。
コメント (1)
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