命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

ゆず

2015年09月24日 20時17分42秒 | 日記

先日、近くの方のご好意でたくさんのゆずを取りに行ってきました。

昨日は午前中の四家供養の法要のあと、ずーーーーっと、ゆずの皮むきに没頭しておりました。

何でむくのが一番早くて簡単か?いろいろと試行錯誤。

山主はいろいろな機械を持ち出してきて、皮むき実験を・・・

最終的にはじめから使っていたピーラーが一番使いやすいということで落ち着き、ひたすら皮むきを。

夕方にようやくすべてをむき終え、むいた皮に塩をして昨日の作業は終了。

このゆずの皮で山主特製のゆず胡椒を作ります。

当山へご来寺の方は山主のゆず胡椒を味わった方も多いはず。とにかく、香りがいいんです。

うどん、そうめん・・・何でも合います。抜群においしい、ゆず胡椒。今年の出来はどうなるでしょう。楽しみです。

 

さて、昨日に引き続き、今日も昼からお寺は即席のゆず工場に。

本日の作業はゆず絞りであります。

みなで手分けをして、絞りまくりました。

なんとビン5本分の絞り汁が。

この絞り汁はポン酢やゆずジュースになります。

絞ったあとはゆずの種をとりました。この種もいろいろと使えるそうです。

化粧水にしたり、リウマチ、冷え性、関節痛などの効用もあるそうです。

ゆずを絞っていて気づきましたが、本当に種が多いことにびっくり。これだけの種になりました。

 

皮をむかれて、絞られて種を取られたゆずです。大量です。

今日もこれで一日が終わりました。

また、後日、ゆず胡椒づくりなどブログでご紹介できればと思っています。


おはぎとぼたもち

2015年09月23日 21時47分27秒 | ひと口法話

本日はお彼岸の中日です。心静かにご先祖様に感謝とねぎらいを。

午前中、お彼岸の供養と四家供養の法要のあと、信者様と「おはぎ」を頂きました。

お彼岸に食べる「ぼたもち」と「おはぎ」の違いご存知でしょうか。

「ぼたもち」の「ぼた」は「牡丹」のこと。牡丹は春の花ですね。

「おはぎ」の「はぎ」は「萩」のこと。秋の草花である萩に由来してるんですね。

この二つは良く似ているのですが少し違うところがあります。

それは「ぼたもち」と「おはぎ」の大きさの違いです。

「牡丹」の花は、大きな花ですから「ぼたもち」は大きめに、「萩」は小さな花なので

「おはぎ」は小ぶりに作られるようになったんですね。

「ぼたもち」や「おはぎ」のあんこには、小豆が使われます。その理由は小豆には古くから

悪いものを追い払う効果があるとされてきました。ではなぜ小豆を使った食べ物に

名前が二つあるのでしょうか。

小豆は春に種をまき、秋に収穫します。

秋のお彼岸は九月なので、収穫したての小豆を使って「おはぎ」を作ります。

取立ての新鮮な小豆ですから、皮も柔らかいのでそのままつぶして食べれます。ですので

秋分の「おはぎ」は粒あんなのです。

ところで、春分では秋にとれた小豆を春まで保存していたので皮が固くなっているんです。

それで皮を取り、こしあんにして「ぼたもち」を作っていたそうです。

昔の人々は自然を暮らしの中に上手に取り入れ、それにきれいな花の名前をつけて区別していたんです。

ご先祖様も喜びそうなこうした風習は、ずっと変わらずに残していきたいものですね。

 

 


思いやり

2015年09月23日 16時18分55秒 | ひと口法話

昔、Aさんという目の不自由な方が居ました。

ある日、Aさんが友人のBさんのところに遊びに行きました。長居をしてふと気づくと

外は真っ暗な夜になっていました。あわてて帰ろうとするAさんに、Bさんは

「夜道は危ないから」と提灯をもたせようとしました。するとAさんは

「目の不自由な私に提灯が居るわけが無い」

といって断りました。しかしBさんは

「でも、あなたに要らなくても相手の人がぶつかってくると危ない。だから持って行きなさい」

といって提灯を持って帰らせました。

これは一体何を教えているのでしょうか?

目の不自由なAさんには提灯が不要ですが、目の見える人には必要なのです。

世の中には、たとえ自分には不要の物でも相手には必要なものが数多くあります。

私たちは時には相手の立場に立って、必要・不必要なことを考えてみる事が

大切な事ではないでしょうか。

一例をあげると笑顔です。

病気で寝て居る人はとても笑顔をする状態ではありませんが、しかしその病人を

見舞う人には笑顔が必要なのです。

現代人は、みんなが自分中心で相手の立場に立って考えると言う事を忘れているようです。


言葉は真言だ

2015年09月22日 20時28分34秒 | ひと口法話

人の発する言葉や表情、動作は全てその人の心を映し出している。

荒々しい言葉はその人の心が荒れすさんでいるからであり

大言壮語をするのは、虚栄心や心の不安感の表れである事が多い。

心が平穏で豊かであれば、話される言葉も優しく穏やかでその立ち振る舞いも、

緩やかであり、人々に好感を与えるものと成る筈である。

釈尊のお言葉。法句経に

「心が静かだと言葉が穏やかで、行いもゆるやかである。

この様な人こそ、正しい悟りを得、身と心のやすらぎを、得た人である」

つまるところ、仏教の悟りとは心静かで穏やかな人格を得る事なのです。

左様に言葉は一言一句大事なものです。

 


秋の味覚きのこ類

2015年09月21日 16時47分46秒 | 日記

 

 

 

 

 

 

今日、山から、ネズミ茸、香茸、今年初物の、「松茸一本」の

お供えが有りました。今年も松茸は見た目には確りしていますが、

やはり、虫が入っている様で神仏のお供えには?

と言う事でした。明日は到来物の真鯛の切りを

出汁にして松茸ご飯を炊くと家内が張り切って居ます。

鼠茸は汁物と酢味噌和えにするそうです。

温暖化の故か山の物はだんだんと少なく成。りました。

香茸は塩焼きにして酢橘で頂けば最高です。

いただきます。