貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

教傳地獄の教え

2017-08-12 10:29:06 | 日記
教傳地獄の教え

平成29年8月12日

 お盆がやってきた。

 私も家内も、二組の両親を見送った。

 4人とも、働き者で、労を厭わず、子ども

思いだった。

 4人兄弟の末っ子と6人兄弟の末っ子同士の

結婚をすこぶる喜び、孫を大切にした。

 4人とも長生きしてくれたので、

いろいろな思いでもある。合掌!

 そんなことを思い出しながら、長生きして

知人の中には、我が子が先に病死したり、

孫に先立たれたり、声の掛けようも悩むことも

増えてきた。

 長生きする人の哀しい一面でもある。

 今日は、「教傳地獄」のことに触れて、弔い

としよう。

 教傳地獄を見たのは、蕉道追従のお陰で、

二度訪問。今回は、工事もしていた。

工事中・・・殺生石





教傳地獄由来説明



 これによると、1318年頃、奥州白河五箇村

にあった蓮花寺に、「教傳」という悪童が預

けられていたそうな。

 教傳は、行いが改善されぬまま大人になり、

28歳で住職となり、母親と寺で住むように

なる。

 ある日、友人達と連れだって那須温泉に遊

びに行くことになり、その朝、旅支度が

できていないことに腹を立て、母親の出した

朝食を蹴っ飛ばす。

 教傳は那須温泉に着き、殺生石を見学。

突然雷鳴がとどろき、地割れから溶岩が流れ

出す。

 友人達は、逃げることができたが、

教傳は金縛りに遭ったように硬直し飲み込ま

れてしまう。

 誰しも教傳の悪行、親不孝に天罰が下った

と悟る。

 そこで、地蔵を建立し、親不孝の戒めとし、

信仰の対象となったという。

 当初はいったいだった地蔵尊像も、いつし

か千体地蔵と呼ばれる程多くの石仏が奉納、

寄進された。

 今では、お一方が、石仏を彫り、奉納され

続けているという。

 亡くなって二十年近く経つが、親のあり

がたみは増すばかり。

 誰しも同じだろう!?

 有難きかな。

 地蔵尊一体





一体ごと向きも表情も違うが・・・。





















 親も子も お互い崇め、慈しむことは、なかなか難しい。

孫が祖父母を殺傷することも稀にあるが、これも哀しい。

 世相に原因を求めることはたやすいが・・・?

 血縁、結縁、尊縁。えにしを大切にかな!