貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

倉嶋 厚さんを偲ぶ2

2017-08-07 11:23:57 | 日記
倉嶋 厚さんを偲ぶ2

平成29年8月7日

 今朝は、『倉嶋厚の季節ノート 

季節ほのぼの事典』を開く。

「ウナ重」がまた蘇る。
 
 子どもの時は、「泥鰌を十数匹入れた

ウナギ捕り」を、兄が友だちと少し離れた

溝側に堤防をつくり、早朝の4時に起き、

捕りに行っていたものだ。

 私は、6時頃なら起きられたけど、

4時起床はいつも無理だった。

 いつも置いていかれた。

 時々細い可愛いウナギが入っており、

母親が裁いてうなぎを食した。

 もう一つは、土用の丑の日には、村で

一軒の魚屋兼万屋さんにウナギを買いに

行った。

 二十円ぐらいだったかな?

つかめたらつかみ放題くれたような記憶

がある。

 最初の頃は、持って行った入れ物に

つるんつるん逃げられて入れられず。

 魚屋さんのおじさんのつかみ方を真似

して、小さな手で掴み入れた覚えもある。

 太くて大きかった!

「客が帰ると、トントンと階段を下りて

くる足音がして、『お前たち、ウナギだ』と、

父は一つのウナ重を3人の子供の前に置いた。

 食べているふりをして、父はほとんど食べ

ていなかった。その三分の一人前のウナ重の

なんとおいしかったことか、

ウネギはなくても、タレのしみている白い飯

だけで、子どもたちは驚喜した。

そして、いつか”一人前”を食べてみたいと、

子供心に何回か思った。・・・・・。

 ただし、一人前が食べられるようになった時、

これらの味は、子供の頃とは全然違ったものに

なってしまった。・・・・。」

と倉嶋さん。

 私も、ウナギのタレがたっぷりしみた白く

輝いたごはんが大好きだったし、バナナ等も

数本食べたいな?なんてよく思ったものだ。


そして、

「貧乏とは、実にいやなものであった。

が、その貧乏から脱出した時、何かたいせつ

なものを落としてきてしまったような気がし

てならない。」と。

 「瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば 

まして偲ほゆ いづくよりきたりしものそ

 まなかひに もとなかかりて 安眠(やすい)

しなさぬ」

と詠んだ山上憶良の子への愛情も然りだが、

気配りや思いやり、やさしさもかな?

 つくづくせわしなさに反省する日々もある。