琵琶湖の浮城
令和2年1月26日
私は、琵琶湖が大好き!
第2の生琉里だ。
近江大橋西詰のすぐ南側に
突き出た地にあった膳所城!
徳川家康が関ヶ原の合戦の
後、築城の名手といわれた
藤堂高虎に最初に造らせた城。
城構えは、湖水を利用して
西側に天然の堀を巡らせた
典型的な水城で、
白亜の天守閣や石垣、
白壁の塀・櫓(やぐら)が美しく
湖面に浮かぶ姿は、実に素晴
らしかっただろう?!
この美観を、
「瀬田の唐橋、
唐(から)金(かね)擬(ぎ)宝(ぼ)珠(し)、
水に映るは膳所の城」
と里謡(さとうた)に謡われている。
戸田・本多・菅沼・石川と城主が
変わった後、本多6万石代々の居城
として長く偉容を誇るが、
明治維新で廃城になり楼閣は
取り壊される。
城門は重要文化財で、膳所神社や
篠津神社に移築される。
現在、本丸跡は、膳所城跡公園
として整備され、春には桜の名所
として花見客を多く集めている。
大津城、坂本城、瀬田城と並ぶ
「琵琶湖の浮城」の一つ。
説明碑によると、
「元禄7年(1694)6月中旬、
芭蕉翁は膳所の能太夫遊刀の家で
この句を作る。
湖前の芭蕉句碑
膳所義仲寺の無名庵に最後の
滞在の日のこと。
琵琶湖の上に高々と立ち上って
いる雲の峰は、夕方の涼しい風が
吹き渡ってくるようになっても、
まるで昼間の暑さを惜しんで
いるよう。
湖と雲が演出する雄大な景色が
目に浮かぶ。」
と。
説明書き
つづく。