令和4年2月10日(木)
④の原文
さるを、筑紫高良山の僧正は、
さるを、筑紫高良山の僧正は、
賀茂の甲斐が厳子にて、
このたび洛にのぼりいまそかりけるを、
ある人をして額をを乞ふ。
いとやすやすと筆を染めて、
「幻住庵」の三字を送らる。
やがて草庵の記念(かたみ)となしぬ。
やがて草庵の記念(かたみ)となしぬ。
すべて、山居といひ、旅寐をいひ、
さる器(うつはもの)だくはふべくもなし。
木曾の檜(ひ)笠(がさ)、
越(こし)の菅(すが)蓑(みの)ばかり、
枕の上の柱にかけたり。
昼はまれまれ訪(とぶら)ふ人々に
心を動かし、
或(ある)は宮守の翁、里の男(おのこ)ども
入り来たりて、
「猪の稲食ひ荒し、兎の豆(まめ)畑(ばた)に
通ふ」など、わが聞き知らぬ農談、
日すでに山の端(は)にかかれば、
夜坐(やざ)静かに、月を待ちて陰を伴ひ、
燈火(ともしび)を取りては
罔両(まうりやう)に是非をこらす。