貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

我が生涯・・仮の世の仮の姿として聖諦!?

2022-02-14 16:34:04 | 日記
令和4年2月14日(月)
⑤の口語訳
 こう言ったからといって、
ただいちずに閑寂な生活を好み、
山野に隠れ世間から姿を
くらまそうというのではない。
 いささか病身で、
人との付き合いが煩わしく、
そのため世捨て人のように見える
のである。
 つくづくこれまで生きてきた歳月の、
拙い我が身の過ちを振り返ってみると、
ある時は武士の境涯を羨み、
一度は仏門に入ろうとしたが、
とりとめもない風や雲の動きに
身を苦しめ、
花や鳥の美しさに心を悩まして、
俳諧が仮の世の営みとして
生計を立てるための仕事とも成ったので、
とうとう世に立つ上の有用な才芸を
一切身につけることなく、
只は異界の道一筋に繋ぎ止められて
今日に及んでいる。
 白楽天は試作のために五臓の心気を
損傷し、
杜甫は試作のために痩せた。
 白楽天や杜甫が賢く華やかな才能に
恵まれているのに対し、
私は愚かで平凡といったぐあいに、
資質が同じではないが、
どちらにしても人の生涯という物は、
仮の世の仮の栖にすぎないのではないかと
思いあきらめて横になった。
先づ頼む 
  椎の木も有り 
       夏木立