令和4年2月17日(木)
これから、少し
「旅と病と終焉」と題し、
芭蕉の集大成を試みることに・・・!
『おくのほそ道』の旅は、
元禄二年(1689)の三月から九月、
四十六歳の時に行われたのだが、
その旅日記を完成させるための
慎重な推敲は、
芭蕉の元禄七年(1694)十月十二日、
五十一歳の終焉まで行われ、
世に発表されたのは没後。
つまり、晩年の「かるみ」の主張と
つまり、晩年の「かるみ」の主張と
時期が重なっている。
そこで、過去の旅を見詰める重厚な俳諧と
そこで、過去の旅を見詰める重厚な俳諧と
現在の主張である「かるみ」の作とが
重なっている。
こういう一見矛盾した手法を、
芭蕉は同時に見事に仕分けたようだ。
芭蕉が晩年、健康を害したのは、
芭蕉が晩年、健康を害したのは、
元禄六年(1693)七月中旬から
八月中旬にかけてである。
急に体力が衰え、
急に体力が衰え、
持病に冒されて、
ひと月の間、
庵を閉じて人に面会するすることも避けて
いたと記録にある。
さて、この持病とは何か?
不明だという。
翌元禄七年(1694)、
翌元禄七年(1694)、
つまり、没年の五月十一日、
庵を出て、故郷の伊賀に向けて
江戸を発つ。
その後、二度と江戸に戻ることは
なかった。
つづく。
つづく。