令和4年2月8日(火)
原文③の後半
小竹(ささ)生(ほ)が嶽(だけ)・千丈が峰・
小竹(ささ)生(ほ)が嶽(だけ)・千丈が峰・
袴腰という山あり。
黒津の里はいと黒う茂りて、
「網代守るにぞ」と詠みけん
『万葉集』の姿なりけり。
なほ眺望くまなからむと、
なほ眺望くまなからむと、
うしろの峰に這ひ登り、
松の棚作り、藁の円座を敷きて、
猿の腰掛と名付く。
かの海棠に巣を営び、
かの海棠に巣を営び、
主簿峰に庵を結べる王翁・徐佺(じよせん)が
徒にはあらず。
ただ睡癖山民と成って、
孱顔(さんがん)に足を投げ出だし、
空山に虱をひねって座す。
たまたま心まめなる時は、
たまたま心まめなる時は、
谷の清水を汲みてみづから炊ぐ。
とくとくの雫を侘びて一炉の備へ
いとかろし。
はた、住みけん人の、
ことに心高く住みなしはべりて、
たくみ置ける物ずきもなし。
持仏一間を隔てて、
夜の物納むべき所など、
いささかしつらへり。