令和5年10月3日(火)
安城市: 了雲院・大乗寺
昔、地理かな?
「日本のデンマーク」
と呼ばれた「あんじょうし」に入る。
近くの「新城市」は「しんしろし」
と呼ぶのを芭蕉のお陰で知ることに!
さて、安城市では・・・・?
まず、 了雲院・大乗寺参拝!
<山門前の参道庭園>
もとは安城城と呼ばれ、
安城町に所在。
<安城城址祈念碑>
碧海台地東縁部の半島状にのびる
台地上に位置。
台地の南・東・西側は湿田と
なっている。
天然の要害。築城・廃絶時期は
明白ではないが、
戦国時代には松平氏の居城となり、
城を巡って織田氏との間で
数度の攻防が繰り広げられたことは
有名。
清康の代になって本拠地が
岡崎に移され、
江戸時代には畑地となる。
寛政4(1792)年に了雲院が移転し、
現在に至る。
<了雲院・大乗寺本殿>
昭和63年(1988)以来、
数度の調査が行われた結果、
多くの地点で堀が確認される。
一部の堀は堀の中を区切る
畦状の遺構が検出されている。
また、
また、
本丸に当たる現了雲院境内地
の調査では、江戸時代の
畑状遺構のさらに下層に
戦国時代の遺構が残っている。
現地表面から1m近く盛り土が
されていることも確認。
大乗寺は、
大乗寺は、
安祥城の本丸跡に建てられている。
木立の坂まで下りると、
木立の坂まで下りると、
見事に整備され、歴史博物館などあり。
大乗寺は小高い丘の上にあり、
かつての城跡像を想像する。
境内には本多忠高の墓があり、
境内には本多忠高の墓があり、
墓地は曲輪跡のような地形に
なっている。
本堂から墓地に行く山門は、
城門があったように思えるような
場所にある。
<芭蕉句碑>
芭蕉の句は、
「けふばかり
人もとしよれ
はつしくれ」
。