令和5年10月19日(木)
名古屋市: 成海城趾:天神社
鳴海(成海)城跡は
鳴海(成海)城跡は
成海神社の旧地である。
<成海神社鳥居>
説明板によると、
「根古屋城ともいい、
応永年中(1394~)
安原宗範の築城といわれる。
<成海城址・・・天神社>
永禄3年(1560)
桶狭間の戦いでは、
今川方の猛将岡部元信が
この城に配され、
義元が討たれた後も最後まで
立てこもって奮戦。
その後、佐久間信盛、正勝らが
城主となり、
天正18年(1590)廃城となる。」
とある。
後世「鳴海城址」として
後世「鳴海城址」として
史蹟に指定する。
<その説明>
城の鎮守として斎かれた
天神祠はそのままこの地に遺り、
世俗成海神社御旅所と称え、
祭礼の日古例に則り御神幸あり。
崖下扇川畔にて
御東征の遺意を伝える
「御船流神事」
が斎行せられる。
<成海神社御旅所竣工記念碑>
古事記に、
「景行天皇40年皇子日本武尊
東夷を征す」とある。
<倭武尊の歌碑>
その節鳴海浦のこの地に
お立ちになった尊は
対岸の火高(現大高)丘陵の
尾張氏館を望見して、
「奈留美良乎
「奈留美良乎
美也礼皮止保志
比多加知尓
己乃由布志保尓
和多良部牟加毛」
「鳴海浦を
「鳴海浦を
見やれば遠し
火(ひ)高地(たかち)に
この夕潮に
渡らへむかも」
とお詠みになった事が
『熱田神宮寛平延喜』
に記されている。
<成海神社由緒>
<芭蕉句碑>
芭蕉句碑の句は、
「杜若
われに発句の
おもひあり」 。