令和6年12月3日(火)
二本松市亀谷観音堂②
いよいよ念じた芭蕉句碑へ。
<観音堂の芭蕉句碑>
「人も見ぬ
春や境の
うらの梅」
が芭蕉の句。
が芭蕉の句。
「境の裏の模様の梅は、
ひっそりと春の訪れを告げて いる。
人が見もしない春
とでもいうべきであろう。」
と説明板には、解釈されている。
<その説明>
露伴亭の「露伴」に
何かゆわくがあるのかなと入ったが、
やはりの勘の当たり!
幸田露伴のペンネーム誕生
幸田露伴のペンネーム誕生
の地となった処が、亀谷。
<露伴の碑>
北海道余市から文学を志し、
明治20年9月20日、
汽車の旅で福島まで来る。
汽車賃が足りなくなるので、
郡山まで夜半歩き続ける。
飲まず食わずに二本松へ。
<その説明>
亀谷坂で倒れ込み、
こうもり傘を立てて野宿。
いつかのたれ死にする時は
こんな状態だろうと歌を口にする。
「里遠し
いざ露と寝ん
草まくら」
と。
2年後、文壇にデビュー。
2年後、文壇にデビュー。
終生、
この地で露と眠りこけたことを
忘れないようにと
「露伴」と命名。
観音様にも守られたのだろう。
命名のいわれもわかり、
お店で「人参ジュース」をいただく。
<ご詠歌碑>
千手観世音も御詠歌、
「そのかみは いくよへぬらん
かめがいの せんじゅのちかい
たのもしきかな。」
と口ずさみ、
この地を後にする。
<願掛けなでなで地蔵>
<願掛けなでなで地蔵>