貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

二本松市亀谷観音堂②芭蕉の歌と幸田露伴の命名の謂れそして・・・!

2024-12-03 11:56:36 | 日記
令和6年12月3日(火)
二本松市亀谷観音堂②
 いよいよ念じた芭蕉句碑へ。
<観音堂の芭蕉句碑>

「人も見ぬ  
   春や境の  
    うらの梅」
が芭蕉の句。
               
 「境の裏の模様の梅は、
ひっそりと春の訪れを告げて いる。
人が見もしない春
とでもいうべきであろう。」
 と説明板には、解釈されている。
<その説明>

                 
 露伴亭の「露伴」に
何かゆわくがあるのかなと入ったが、
やはりの勘の当たり!
 幸田露伴のペンネーム誕生
の地となった処が、亀谷。
<露伴の碑>

 北海道余市から文学を志し、
明治20年9月20日、
汽車の旅で福島まで来る。
 汽車賃が足りなくなるので、
郡山まで夜半歩き続ける。
飲まず食わずに二本松へ。
<その説明>

 亀谷坂で倒れ込み、
こうもり傘を立てて野宿。
 いつかのたれ死にする時は
こんな状態だろうと歌を口にする。  
「里遠し 
  いざ露と寝ん 
    草まくら」
 と。
 2年後、文壇にデビュー。
 終生、
この地で露と眠りこけたことを
忘れないようにと
「露伴」と命名。
 観音様にも守られたのだろう。
命名のいわれもわかり、
お店で「人参ジュース」をいただく。
<ご詠歌碑>

 千手観世音も御詠歌、 
「そのかみは いくよへぬらん 
かめがいの せんじゅのちかい   
たのもしきかな。」  
と口ずさみ、
この地を後にする。
<願掛けなでなで地蔵>