令和6年12月8日(日)
福島市文字摺・普門院②
その悲恋物語とは!
「遠い昔の貞観年中
「遠い昔の貞観年中
(9世紀半ば過ぎ)のこと。
陸奥の地を訪れた源融は、
村の長者の娘・虎女と出会う。
日ごとに二人の情愛は深まり、
融公の滞留はひと月にも及び、
再会を約し、
遂に都へと戻る日がやってくる。
再開を待ちわびた虎女は、
慕情やるかたなく
「もちずり観音」に
百日参りの願をかけた。
満願の日を迎えたが、
都からの便りはなし。
嘆き悲しんだ虎女が
ふと目を遣ると、
「もちずり石」に慕わしい
融公の面影が彷彿と
浮かんで見える。
しかし、
近づくとそれはすぐに消えてしまう。
虎女は遂に病の床につく。
その後、
一辺の歌が都の使いの者により
虎女のもとに届けられる。
届いた歌には
「みちのくの
忍ぶもちずり
誰ゆえに
みだれ染めにし
我ならなくに」
と、
融が遠く都で恋の思いに
心乱れている様子が記されていた。
<甲剛碑等>
故事にちなんでもちずり石は、
別名「鏡石」とも呼ばれている。
境内の奥には
虎所と源融
(京都嵯峨の清涼寺より土を移す)
の墓が建立され、
当時の歴史を今に伝えている。
元禄2(1689)年、
芭蕉と曾良は福島町に宿をとる。
翌朝二人は岡部の渡しを渡り、
文知摺観音を訪れる。
<芭蕉立像>
~つづく。