令和6年12月20日(金)
白石市田村神社:甲冑堂②
芭蕉と曽良は、
元禄2年(1689) 5月3日に
田村神社の甲冑堂を拝観。
『奥の細道』の、
『奥の細道』の、
「二人の嫁がしるし、
先哀也。
女なれどもかひがひしき
名の世に聞こえつる物かなと
袂をぬらしぬ。」
という二文が、
碑に刻印されている。
<おくのほそ道の文章碑>
また、
桃隣の句碑が残っている。
桃隣とは芭蕉の弟子で、
本名は、天野勘兵衛。
<桃隣の句碑>
芭蕉の(支考代筆)口述遺書中、
「桃隣へ申し候。
再会かなはず。
力落さるべく候。
いよいよ杉風・子冊・
八草子よろず御投げかけ、
ともかくも一日暮しと
存ずべく候」
と書かれた人物である。
碑には
碑には
元禄9年(1696年)に詠んだ句。
「戦めく
「戦めく
二人の嫁や
花あやめ」 。