令和6年12月17日(火)
飯坂医王寺③
奥の院までとさらに歩を進める。
右手の方に、三体の像がある。
一番左に、
「あゝ義経~佐藤一族」
というタイトルで、
3番までの歌詞が…。
その前に、
その前に、
芭蕉の句「笈も太刀も…」
も掲載。
「兄頼朝の 旗揚げに
九郎義経 馳せ参じ
佐藤継 信 忠信も
主従の契り 堅く結い
屋島の戦さ 熾烈なり
義経矢楯
あゝ 継信が逝く」
というのが1番。
「兄頼朝に うとまれて
「兄頼朝に うとまれて
九郎頼経 あゝ苦境
佐藤忠信 やがてまた
京都堀川に 露と消ゆ
悲運の九郎 哀れなり
あゝ白鳥(とり)も哭く」
が2番の歌詩。
3「文治5年の 夏の頃
佐藤忠信 やがてまた
京都堀川に 露と消ゆ
悲運の九郎 哀れなり
あゝ白鳥(とり)も哭く」
が2番の歌詩。
3「文治5年の 夏の頃
奥州落ちの義経を 討たん
鎌倉大軍を 石那坂にて
これ阻む
飯坂 庄司 基治は
飯坂 庄司 基治は
気骨の古武士
あゝ ここに散る」
そして、
あゝ ここに散る」
そして、
三体像の中央に源義経、
右に佐藤継信、
左に佐藤忠信が並んでいる。
~つづく。