令和6年12月6日(金)
二本松市観世寺③
すると、
菩薩像が空へ舞い上がり、
光明を放ちつつ破魔の白真弓に
金剛の矢をつがえて射ち、
鬼婆を仕留めることとなる。
<芭蕉と子規の参詣記念>
<子規の句碑>
鬼婆は命を失ったものの、
観音像の導きにより成仏する。
祐慶は
祐慶は
阿武隈川のほとりに塚を造って
鬼婆を葬り、
その地は「黒塚」と呼ばれるようになる。
鬼婆を得脱に導いた観音像は、
「白真弓観音(白檀観音)」と呼ばれ、
後に篤い信仰を受ける。
その昔、
岩手という女性が京の都の公家屋敷に
乳母として奉公している。
だが、彼女の可愛がる姫は、
生まれながらにして不治の病に
おかされており、5歳になっても
口がきけないほど。
姫を溺愛する岩手は
何とかして姫を救いたいと考え、
妊婦の胎内の胎児の生き胆が
病気に効くという易者の言葉を信じ、
娘を置いて旅に出る。
奥州の安達ヶ原に辿りついた
岩手は岩屋を宿とし、
標的の妊婦を待つ。
長い年月が経ったある日、
若い夫婦がその岩屋に宿を求める。
女の方は身重である。
ちょうど女が産気づき、
夫は薬を買いに出かける。
絶好の機会である。
岩手は
出刃包丁を取り出して女に襲い掛かり、
女の腹を裂いて
胎児から肝を抜き取る。
だが、
だが、
女が身に着けているお守りを目にし、
岩手は驚く。
それは自分が京を発つ際、
娘に残したものだ。
今しがた自分が殺した女は、
他ならぬ我が子だったのである。
あまりの出来事に
あまりの出来事に
岩手は精神に異常を来たし、
以来、
旅人を襲っては生き血と肝をすすり、
人肉を喰らう鬼婆と
成り果てたのだという。
これらの話を、
宝物資料館に設置されたビデオで、
唯ひとり鑑賞。
凄惨な因果応報?