貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

夫婦の神社?

2019-03-26 08:24:11 | 日記

夫婦の神社?

平成31年3月26日(火)

 今日から子どもたちは春休み!

 昨日は久し振りに公園に

群がって楽しそうに遊んでいた。

 やっぱり解放されるんだ。

 いっぱい外遊びすべし、すべし!

 けさは、

 地元では「お産のじょうぐうさん」

と呼ばれ、親しまれている神社へ。

 そう、常宮神社参拝。

 うちのお嫁さんも6月に出産予定。

 安産を祈るばかり・・・。

 神功皇后が、ここで皇子の応神天皇を

安産したことから、安産の神様

として崇められている。

 神功皇后は、氣比神宮の祭神・

仲哀天皇の妻であるため、

常宮神社は氣比神宮と夫婦と

され、常宮神社は奥宮といわ

れている。

 毎年7月には、氣比神宮の祭神・

仲哀天皇を納めた船神輿が船で

海を渡り、神功皇后を祭る

常宮神社まで会いに行くと

いうロマンチックな神事が

執り行われている。


 

 立地条件や神功皇后が三韓征伐

に際して海路の無事を祈願した

との伝えがあることから、

航海や漁業の守護神としても

信仰されている。

 また、国宝『朝鮮鐘』が奉納されて

いることでも有名。

 朝鮮の役における吉継の見事な

軍監ぶりに、

「吉継に百万の大軍の軍配を預けて

みたい」と秀吉に言わしめた。

 この役で持ち帰った「朝鮮鐘」

(国宝)は、吉継の手で慶長二年

(1597)に秀吉の命により常宮神社に

奉納されたといわれている。

これが、神社の由緒。

 ここも、芭蕉のゆかりの地。

 つづく。


清浄心と鐘塚

2019-03-25 13:40:23 | 日記

清浄心と鐘塚

平成31年3月25日(月)

 今日も、敦賀市へ。

 芭蕉は元禄2年(1689)8月15日、

雨の中を天屋玄流らに案内されて、

金前寺を訪れる。

 これが、鐘塚。

 鐘塚の説明碑

 そして、延元の戦い、陣鐘の物語

を聞いて歌を詠む。

「月いつこ 鐘は沈る 

    うみのそこ」 はせを。

 この鐘塚の句碑は、宝暦11年(1761年)

に、敦賀の俳人、白崎琴路らが

芭蕉の没後68年目に建立。

 真筆を刻んだと伝えられているが、

この真筆は不明。 

 鐘塚は県内に残る句碑の中で

最も古いもの。

       

 ご近所の方が迎え入れるおもてなし!

 金前寺のパンフレットも持って

きてくださる。有難し、ありがたし!

「清浄心」 

 日々掃き続け、清浄心を、

そして布施の命、

老いて今日より遍路!

ほんと、実感。

 健康的な朝は、掃き浄める清掃

から始まるのかもしれない!。

 「生かせ いのち 」碑

「活かそう いのち!」


陣鐘の物語り?

2019-03-23 09:57:46 | 日記

陣鐘の物語り?

平成31年3月24日(日)

 今朝、小作の堰の羽村側の

桜がいくつかちらほら開花!

 氷が張っていた寒い朝、桜開花

を初見。心に灯も妃も点る。

 さて、敦賀市へ。

 

 金前寺参拝!

 泰澄大師が天平8年(736)に開創

したと伝えられる由緒あるお寺。

 境内には五重塔や除夜の鐘突きを

行う鐘楼堂などがあり、寺歴も掲示

されている。


 近くには金崎宮や金ヶ崎城跡

があり、特に桜の美しい春には

多くの人が参拝する。

 延元元年(1336)10月、

新田義貞は金ヶ崎に城を築き、

翌2年3月6日、足利尊氏の軍に

攻められて敗走。

 後醍醐天皇の皇太子恒良親王は

後に捉われ、皇子尊良親王及び、

新田義顕(義貞の長男)は、

金前寺の観音堂にて自害する。

 この戦いに敗れる際、義貞は

陣鐘を海に沈めた。

 その後、国守が海女に命じて

探させたが、鐘の竜頭がさかさま

に落ち込んで泥に埋まり、

引き揚げることができなかった

と云われている。

 芭蕉は元禄2年(1689)8月15日、

雨の中を天屋玄流らに案内されて

金前寺を訪れる。

 そして、その陣鐘の話を聞く。

 


「食の霊(けのひ)」

2019-03-23 09:57:46 | 日記

「食の霊(けのひ)」

平成31年3月23日(土)

 7時半頃よりポツリポツリ。

 霧雨が氷雨に、そして霙ぽく・・・。

 8時からの公園掃除当番。

 幼草がちょこちょこぐらい。

 ちょっと早めに行き、トイレ

掃除を仕上げ。草削り。

 隣組の仲間が傘片手に参加。

 途中から止み、公園内が

少し輝いてみえる。

 奉仕の有り難さ。

 これで、隣組長の任務も無事完了。

 今朝も氣比神宮の芭蕉句碑へ。

 近くに、「芭蕉翁杖跡」の碑と

氣比の宮芭蕉句碑がある。

芭蕉の句は、

「月清し 遊行のもてる 
    

       砂の上」

 これが、「芭蕉翁杖跡碑」

 さて、主祭神の伊奢沙(いざさ)別命

(わけのみこと)は、

御食(みけ)津(つ)大(おお)神(かみ)

とも称される気比神宮にのみ

祀られている神。

 謎の多い神だが食物を司る神で、

『古事記』にはここ敦賀から朝廷に

海産物などの食物が奉られていた

と記されている。

 ちなみに”気比”という地名は、

「食の霊(けのひ)」が由来とされ

ているらしい。

 ともかく主祭神が食物を司るところ

からついた名のようだ。

 食が何てたって、一番!

「けのひ」が「食の霊」とは…!

 尊し氣比神宮!


春なのに、芭蕉翁月五句!

2019-03-22 09:10:26 | 日記

春なのに、芭蕉翁月五句!

 平成31年3月22日(金)

 昨年、イチローが選手として出場

できなくなった時から、日本で

マリナーズが開幕を迎える時、

選手として出場。そして引退。

 そういう花道かな?

 予感は的中。

 流石、大リーグの名選手の花道は、

見事!

 それにしても走攻守三拍子揃い、

そのどれもが超一流に磨かれたもの。

 名言も多い。

 次は、大谷選手かな。

という今朝の思い。

 野球好きの私も、イチローの

お蔭で、長い間楽しんだ。

 61歳まで投げたり打ったり、

少年のように・・・。

 今朝も敦賀の名月を。

 1689年(元禄2)旧暦の8月

14日の夕方、快晴の敦賀に入り、

宿の旅籠出雲屋の主人に、

「明日も晴れるかどうか」を問う。 

 出雲屋の主人は、北陸の天気は

変わりやすく明日は晴れるか

分からないので、月見なら今晩の

内にと・・・。

 芭蕉はその夜に「氣比神宮」に参拝し、

月明かりに照らされた神前の白砂と

その由来に感動し、次のように詠む。

「月清し 遊行のもてる 砂の上」

 翌15日、亭主が言ったとおり

雨天となる。

 そして、

「名月や 北国日和 定なき」

という句を詠む。

 樹齢七百年といわれるタモの木の前には、

高さ26m、横44m、奥行き1.3m、

重量が約30tの巨大な句碑。

 しかも日本では数少ない自然石を

使用したもので、

上記の敦賀の地を詠んだ

“芭蕉翁月五句”が刻まれている。

「國々の 八景更に 

        氣比の月」

「月清し 遊行のもてる 

         砂の上」

「ふるき名の 角鹿や恋し 

         秋の月」

「月いつこ 鐘八沈る 

         海の底」

「名月や 北国日和 

         定なき」

 また、別の「芭蕉と敦賀の月」の

石碑には他3句が刻まれている。

「中山や 越路も月ハ

           また命」

「月のみか 雨に相撲も

         なかりけり」

「衣着て 小貝拾ハん 

         いろの月」

 敦賀で見る月も、青梅で見る月も

全く同じ月なのに・・・。

 名月は、名月。

 敦賀の名月もじっくり味わいたし。