遊行の砂持
平成31年3月21日(木)
鶯の語らいに目が覚める。
もう春分の日。
今朝も暖かい。
敦賀の里も暖かいだろうなあ。
氣比神宮参拝!
この前の境内に、
芭蕉の立像と句碑がある。
『奥の細道』には、
「漸白根が嶽かくれて、比那が
嵩あらはる。
あさむづの橋をわたりて、
玉江の蘆は穂に出にけり。
鶯の関を過て、湯尾峠を越れば、
燧が城。
かへるやまに初雁を聞て、
十四日の夕ぐれ、つるがの津に
宿をもとむ。
その夜、月殊晴たり。
「あすの夜もかくあるべきにや」
といへば、
「越路の習ひ、猶明夜の陰晴
はかりがたし」
と、あるじに酒すゝめられて、
けいの明神に夜参す。
仲哀天皇の御廟也 。
社頭神さびて、松の木の間に
月のもり入たる、おまへの白砂
霜を敷るがごとし。
往昔、遊行二世の上人、
大願発起の事ありて、みづから
草を刈、土石を荷ひ、泥渟をか
はかせて、参詣往来の煩なし。
古例今にたえず、神前に真砂を
荷ひ給ふ。
これを『遊行の砂持と申侍る』と、
亭主のかたりける。
「月清し 遊行のもてる
砂の上」
<芭蕉像の背面にこの像の説明がある。>
十五日、亭主の詞にたがはず
雨降 。
「名月や 北国日和
定なき」 」
と記されている。
芭蕉の敦賀市訪問の目的の一つが、
美しい月の姿を句に詠むこと。
敦賀では特に、
“中秋の名月”を心待ちにして
いたようだ。
つづく。