貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

丁字屋の丁字とは?

2019-08-16 11:11:53 | 日記

丁字屋の丁字とは?

令和元年8月16日

 お盆、里帰りの方々を翻弄!

日本海を北上していく。

 さて、丁字屋。

 丁字屋の名物はとろろ汁。

 歌川広重が「東海道五十三次」に

描いた丁子屋は有名。

 クロード・モネの連作

「積みわら」

 に構図やグラデーションの使い方

等影響を与える。

 また、十返舎一九は

「東海道中膝栗毛」

の丸子のシーンでとろろ汁を

作中に取り入れている。

 丁子屋の創業は、戦国時代末期の

1596年で、以来400年間場所を

変えずに営業している。

 当初はお茶屋であったと言われる。

 「丁字」とは、当時貴重品であった

香辛料のクローブのことである。

「フトモモ科の熱帯雨林高木。

原産西インドなどで栽培。

高さ数メートル。枝は三叉状、

葉は対生で革質。花は白・淡紅色で

筒状、集散花序はなし、香が高い。

花後、長楕円状の液果をを結ぶ。

蕾を乾燥した丁香(クローブ)は、

古来有名な生薬・香辛料。

果実からも油をとる。

黄色の染料としても使われた。」

という優れもの。


三度目の正直には・・・!

2019-08-15 09:58:26 | 日記

三度目の正直には・・・!

令和元年8月15日

 台風10号の影響で、昨朝から

土砂降りと晴天の繰返し。

 夜半から今朝にかけての殴り雨

も騒々しさを増す。南向きの雨戸

は閉めっぱなし。

 四国や九州、山陰・北陸の方の

被害が最小限に留まりますように!

 私は、鞠子宿。

 鞠(まり)子(こ)宿は、東海道

五十三次の20番目の宿場で

ある。

 丸子とも書く。

 私は、鞠子のほうを好む。

 東海道中でもっとも小さい宿場で、

天保14年(1843)の記録に

よると、家の数は211軒、旅籠は

24軒であったという。

 東海道伝馬制の制定により、丸子

が宿場町となった。

 安倍川の丸子橋近くには、高札場

の跡があり、宿場町に現存する高札

のレプリカが立っている。 

 

 向かいは、丁字屋。

 丁字屋の名物はとろろ汁。

 歌川広重が「東海道五十三次」

に描いた丁子屋は有名。

 クロード・モネの連作「積みわら」

に構図やグラデーションの使い方

等影響を与える。

 また、十返舎一九は「東海道中膝栗毛」

の丸子のシーンでとろろ汁を

作中に取り入れている。

 丁字屋は11時開店。今はお店の人が

4.5名外掃除最中。

 8時じゃ、今回もまたとろろ汁は、

お預けとなる。

 3度目の正直には、11時頃

お店に入ろう。

 願いよ、叶えかな!

 


花にも祈り、念仏

2019-08-14 08:50:54 | 日記

花にも祈り、念仏

令和元年8月14日

 今朝も静岡市。

 

 光鏡院は、今川陸奥守一秀の

菩提寺で、長亨2年(1488)

僧・慧雲が開山した曹洞宗の寺

ある。

 山門は仁王門。

 文明8年(1476)今川六代当主

義忠が不慮の死をとげ、今川一族

の間で竜王丸(今川氏親)派と

小鹿範満派に分れて争いが起ると、

一秀は竜王丸を補佐するため

遠江から瀬名に移り住み、瀬名氏

と改名。

 以来、一秀は瀬名一族の祖となる。

 通称「瀬名館」といわれる字

大屋敷は、瀬名集落のほぼ中央に

あって、瀬名一秀を祖として氏貞、

氏俊、氏詮四代の居館跡であった

ことが「今川記」に記されている。

 遺構は認められないが、今川直系

を補佐する一族として瀬名氏の勢力

は大きかったよう。

 参拝!


 

 光鏡院をはさんで、二代今川

氏貞の菩提寺である「松寿院」や

三代今川氏俊婦人の菩提寺である

「竜泉院」の一帯は、瀬名一族発祥

の地であるので、今川一族研究の

うえからも、きわめて意義深い

土地柄である。

 石段途中右に、芭蕉句碑と

もう一つ句碑の2基がある。

 芭蕉の句は、

「世にさかる 花にも念仏 

     申しけり」

 

 仁王門の境内側にも四天王の

うちの増長天等?

 そして、境内には

二体の掃除小僧も。


お盆 けふ斗り・・・?

2019-08-13 08:46:59 | 日記

お盆 けふ斗り・・・?

令和元年8月13日 お盆

 子ども時代は、この13日から

15日までお盆。

 お盆とは、祖先の霊を祀る一連の行事。

日本古来の祖霊信仰と仏教が融合

した行事である。

かつては太陰暦の7月15日を中心と

した期間に行われた。

太陽暦(新暦)の採用後、新暦7月

15日に合わせると、農繁期と重な

って支障が出る地域が多かったため、

8月15日をお盆(月遅れ盆)とする

地域が多くる。

 この三が日は、川で遊んではいけない

といわれ、川遊びは禁止。

 それが、今でも生活習慣と

なっている。

 「今日ばかりは・・・」 である。

 

 今朝は、静岡市瑞龍寺へ。

 瑞龍寺は、戦国時代永禄3年(1560)、

能屋梵藝(のうおくぼんげい)和尚

によって開創された曹洞宗の寺。

 能屋梵藝和尚は、静岡市内の

沓谷にある「長源院」の四世・

梵梅和尚の法嗣。

 家康公は駿府城を居城とした折、

駿河七ヶ寺の住持を度々お城に集め、

曹洞の法門をお聞き遊ばれ、

寺領御朱印を賜す。

 瑞龍寺もまた、駿河七ヶ寺の一つ。

 参拝!御礼と祈願。

 境内に時雨塚。 

 芭蕉の句碑。

 

芭蕉の句は、

 許六らを集めての句会(彦根藩邸)に、

折りしも初時雨が降ってきた。

 座の一同に向かっての挨拶吟

である。

けふ斗 人もとしよれ 

       初時雨
 

古来、初時雨はめでるものであり、

そのシンボルは「老い」を含意する。

 当時48、9歳の芭蕉が、30歳代

半ばの弟子森川許六らに対して、

初時雨が降ってきた。

 若い人も今日だけは年寄りの

気持ちになって、時雨の情緒を

しみじみと味わってほしい、

と呼びかけた句。

 時雨というのは、秋から冬にかけて、

一時的に降ったりやんだりする

雨や雪のこと。

 百歳寺代。老いを思い遣ることも

難しい時代かな?

 

 


戦後74年 平和ってどんなこと?

2019-08-12 09:12:42 | 日記

戦後74年 平和ってどんなこと?

令和元年8月12日

 戦後も74年が過ぎる。

私も9月に74歳。

 平和の有り難さを痛感!

 朝まで安心して眠れる。

 

 蕉道を天候と相談して究め

られること。

 そして、ブログで発信できる

こと。

 みんな平和のお蔭。

 先日、浜田 桂子さんの絵本、

『平和ってどんなこと?』を

借りてきた。

 流石、浜田さん。見事に

 

 平和の反対は、勿論戦争。

子どもたちも、お年寄りも

みんな楽しく、思いっきり

遊べること。

食べる事の心配がないこと。

自分の好きなことや夢を追う

ことができること。

わたしが、ぼくが、

生まれてよかったということ。

 そして、誰とでも

友だちになれること。

 それと間違いに気づいたら、

「ごめんね」

と謝ること。

 そして、

「いいよ。」

と赦してあげられること。

 とっても大事なこと。

国と国。町と町。

 もっともっと率直に乳児が成長

するように成長したいもの。

 この頃、とみに感じるなあ!