貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

静岡 富士のお茶

2019-08-11 09:48:33 | 日記

静岡 富士のお茶

令和元年8月11日

 昨日は、恒例の夏の買い物に

有楽町まで出かける。

 青梅からの買い出し!

 高齢者が多くなってきた。

 今年は、切れかかっている年寄り

にはお目にかかれなかった。

 人生積み重ねてきて切れて怒って

いるお年寄りをみると、暑さも彼方へ、

哀しくなるね。

 度の超えた図々しさと同様かな?

 先日、静岡のSAで、茶の香り、

「2番茶の特別価格」「富士のお茶」

を手に入れた。

 

 朝食は、いつも日本茶でしめる。

「あら まっちゃ」器で、抹茶のように

するのが、我が家の風習。

 

  ところが、この二番茶、

あら抹茶になりそうでならぬ。

 茶の香りはいい!

 しかし、湯飲みに葉っぱがぴったり!

 これは、やっぱり急須で注ぐのが

一番とわかる。

芭蕉の句、

「駿河路や はなたちばなも 

     茶のにほひ」

には、ほど遠し!

 清水寺の芭蕉句碑を、

さらに見て味わう。

 芭蕉は東海道を旅して幾つかの

俳句を詠んでいるが、この句は

お茶の産地である静岡の地なら

ではの名句。

 足止めを4日もくった島田で

詠んだ句。    

「するが地や 花橘も 

      茶の匂い」

 を、

『炭俵』に「此句は島田よりの便に」

と注される。 

「あたかも名産の茶を製する時節で、

新茶の匂いに紛れてしまって、

花橘も茶の匂いがするようだ。」

の意。


花橘も茶のにほひ

2019-08-09 09:27:21 | 日記

花橘も茶のにほひ

令和元年8月9日

 今朝も浜松市

清水寺参拝!

詩三さんの句。

「雪の道 杖一本の 命かな」

「老いの道 蕉道ひとつ 

       蝉時雨」 貢人

歓喜天祭祀

拙叟さんの句は、

「みじかくも 夜は一夜なり 

      ほととぎす」


文母さんの句は、

「はなすりの 端山を出たり 

       春の月」

月巣さんの句は、

「明月や 心一つの 

     置き所」

 分かりやすいけど、観念句かな?

 そして、熊野神社あり。

参拝!

鐘楼の近くまで行くと、

芭蕉句碑。

芭蕉の句は、

「駿河路や はなたちばなも 

     茶のにほひ」


そっくり!?京の音羽山に・・・

2019-08-08 08:45:12 | 日記

そっくり!?京の音羽山に・・・

令和元年8月8日

 今朝も清水市。

 谷津山の西麓にある音羽山

清水(きよみず)寺は、真言宗の

寺院で、谷津山周辺の地形が

京都の音羽山清水寺に似ていた

ので名づけられる。

             

 兵火に見舞われますが、徳川

家康が本堂を再建し、自身の念持

仏の恵心僧都作といわれる

千手観音の像や観音堂を建立。

  境内には薬師堂、聖天堂・霊牌、

金毘羅神社、熊野神社などがあり、

現在は清水寺の一帯は整備された

清水山公園となっている。

滝は人工滝で、桜の名所である。

 階段を上り始めると、句碑群。

可愛い説明板も付き、一句一句を

楽しむことができる。

つづく。


風は長崎に・・・

2019-08-07 08:57:39 | 日記

風は長崎に・・・

令和元年8月7日

 人類史上初めて原子爆弾が

投下。

「昭和20年8月6日 午前8:15

 リトルボーイと名付けられた

その爆弾は、広島市の上空

約6百メートルで炸裂。

 その1秒後には、直径300メートル

もの巨大な火の玉となり、爆心地

周辺の地表は、およそ3秒間にわたり

3千~4千度の高温にさらされた。

 半径2キロ以内では、、猛烈な

爆風により、ほぼ全ての建物が崩壊。

 屋外にいた人は、強烈な熱線(赤

外線)にさらされて体中の水分が

瞬時に蒸発、人の形をした灰とな

った。

 即死者数 7万人(推定)

 同年12月末までの死者数、

およそ14万人。

 広島市は、この日、地獄となった。」

と記されている。

 想像を絶する恐ろしさを、やはり

感じるの子ども時代と同じかそれ以上。

 共存共栄はユートピアではなく、

現実のものにする努力を継続すること。

 望外な贅沢も争いの源になる。

 留意して、可能な限り質素な生活。

シンプルライフを心がけよう。

 さあ、清見寺の庭を拝見!

 聖観世音菩薩銅像

 そして、五百羅漢石像

 

 島崎藤村の小説『桜の実の散る時』

の最後の場面になったという。

 いろんな表情も味わうことができる。

渡しが気に入った一体

 その小説。

咸臨丸 殉難碑もある。

そして、屋内にも瓢箪池のある

見事な庭園もある。

 清見寺は、駿河湾を望む

風光明媚な高台にあることから、

室町時代には雪舟が、明治時代

には夏目漱石や高山樗牛

、島崎藤村が訪れている。

 芭蕉の句碑は、瓢箪池の橋の処に

あったそうだが、現在は写真のみ。

句は、

「西東 あわれさおなじ 

      秋の風」 はせを

である。

 玉座も残っている。

 


ヒロシマの風

2019-08-06 08:37:40 | 日記

ヒロシマの風

令和元年8月6日

 74年前の今日、広島に

原爆投下!

 昨日図書館に行った時、

『いしぶみ』、『わたしがちいさ

かったときに』『ヒロシマの風』

等5冊借りてきた。

 戦争と平和について考える日に

しようと思いついたから・・・。

 74年間、原爆病で苦しんで

こられた方々の苦しみ、その日に

閃光と轟音、そして、キノコ雲、

あっという間に亡くなった人、

大やけどを負った人、前代未聞の

大惨劇が起こった日を思いを

致すことにした。

 『ヒロシマの風』に掲載されている

3年生の女児の詩

 げんしばくだん

げんばくだんがおちると

ひるがよるになって

ひとはおばけになる

5年女児の詩

よしこちゃんが

やけどで

ねていて

とまとが

たべたいというので

お母ちゃんが

買い出しに

いっている間に

よしこちゃんは

死んでいた

いもばっかしたべさせて

ころしちゃったねと

お母ちゃんは

ないた

わたしも

ないた

みんなも

ないた

 

 私はその後五十数日後に誕生。

ほんと芋ばっかしの印象も

強い。