貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

千年生きる松の「無用の用」

2021-10-09 11:50:01 | 日記
令和3年10月9日(土)
二上山当麻寺を詣でて
僧朝顔 
   幾死かへる 
          法の松
前回の続き。
 ◎ 大きな松は大きすぎて切って
何かの用をするわけにはいかない。
 それ故に千年生き残っている。
 縄文杉のようだ。
 まさしく荘子の提出した
「巨木の無用の用」のようだ。
 巨木の松は、千年生きてきたであろうか。
 その千年の間に、僧侶も朝顔も沢山の
生命が消えていった。
 千年という悠久の生命を、
この松は教えてくれる。
 つまり、生命という大自然の中の
出来事を教える「法の松」だと感嘆!!!!
 私の生職の最期の言葉「緑松千丈」も
偲ばれる。築地の4段目に栄える黒松を
賞しての作だが、松の生態をよく表し、
至極気に入っている。
 私の「法の松」かな。



當麻寺の「法の松」

2021-10-08 10:35:56 | 日記
令和3年10月8日(金)
 二上山当麻寺を詣でて
僧朝顔 
  幾死かへる 
      法の松
 境内の松が見守る中、寺の僧も朝顔も、
今までどれほどの生死を繰り返して
きたことだろか、
の意。
 貞享元年(1694)の作。
「法(のり)の松」・・・當麻寺境内の
   中将姫伝説に因む来迎の松。
 紀行本文に、
「二上山當麻寺に詣でて、庭上の松を
見るに凡そ千歳もへたるならむ、
大イサ牛をかくす共云べけむ。
 かれ非情といへども、仏様にひかれて
斧(ふ)斤(きん)の罪を免れたるぞ
幸いにしてたつとし」
として掲載。
 行文には『荘子』の影響が強く、
長寿を保つ松を通して、
仏法への讃歎を示す。
つづく。


亡き母を偲ぶ・・・遺髪!

2021-10-07 11:05:02 | 日記
令和3年10月7日(木)
てにとらば消ん 
  なみだぞあつき 
       秋の霜
 母の遺髪を手に取ったら、熱い私の涙で、
秋の霜のように消えてしまうだろう、
の意。
 貞享元年(1694)の作。
「霜」・・・母の遺髪をたとえ、儚さを強調
する。
 紀行本文ではに、
「長月の初、古郷に帰りて・・・。」とあり、
兄から
「母の白髪おがめよ、浦島が子の玉手箱 
汝がまゆもやゝ老たり」
と遺髪を手渡されたとして掲載。
 八音からなる上句の字余りが
感情の高ぶりをよく表して効果的。
 この度は母の墓参を現実的な目的の
一つとするものであった。
 「北堂」というのは、古代中国では、
母は北ノ堂に住んでいたから、こう
呼んでみたのである。
 浦島というのは、兄から見れば、
故郷を遠ざかり、江戸に住む芭蕉を浦島
のように長く不在の人と見ていたからだ。
 兄弟ともに、年を取り、白髪が生え
だしたのだから、
我らの母も、すっかり白髪になっていた
のだと思う。
 そこで、母の残した遺髪が白く細い
ので、今にも消えてしまいそうで、
亡き母を偲んで、泣きながら墓参をした
という。



闇の力強さを詠む

2021-10-06 10:46:05 | 日記
令和3年10月6日(水)
 みそか月 
  なし千とせの杉を 
      抱あらし
 伊勢神宮の吟句の続き。
◎ 陰暦晦日であるから新月。
 月の光はなく、下界の夜は闇に満ちている。
 日暮れて、暗いところに、髑髏の明かり
が照らしてはいるが、なお闇に吸い込まれる
ようだ。
 風は千年杉の巨大なのを抱くように
吹いているが、星一つないう闇の天下で
ある。
 外宮で月を詠むのは、明かりが、闇の力を
一層強く印象づけている。
 しかも、強風は嵐の気配を示している。
その風音が辺りに満ちている時に、
風が闇の中で巨大な杉を抱いているように
見える。
 これは俳句が妖怪の世界に入ったような、
力強い闇の、俳句への詠み込みである。


伊勢の神々しさを一句に!

2021-10-05 11:00:18 | 日記
令和3年10月5日(火)
みそかなし
  千とせの杉を 
     抱あらし
 月末で、月もない闇夜、嵐が千歳の
杉を抱くように吹きすぎる、
の意。
 貞享元年(1694)の作。
 伊勢を訪ねての吟で、紀行本文に
僧と見做され神前に入れず、
暮れて外宮に詣でたとあり、
「また上なき峯の松風、
   身にしむ計(ばかり)、
      深き心を起こして」
として掲載。
 真蹟懐紙では、
「西行の泪の跡を尋て、一ノ華表(とりい)
 より岩戸詣る比日暮て道くらし」
の前書き。
 西行「深く入りて神路の奥を尋ぬれば、
また上もなき峰の松風」(千載集)をもとに、
西行と一体化して伊勢の神々しさを
味わっているのであり、
杉を抱くのは嵐と限定せず、
自分も西行も風と化して杉を抱いていると
解していいだろう。